原爆遺物展示室の特徴
① 浦上教会の歴史と被爆前後の写真、
教会境内地内の遺産を紹介
浦上小教区の歴史は、被爆マリア小聖堂の前に設置している解説板(シスター片岡千鶴子監修)で紹介しています。小聖堂に一般の見学者は入ることがないので、パンフレット等で補っていました。
今回のリニューアルでは、その小聖堂前の解説板の内容を英語と韓国語に翻訳するとともに、『浦上キリシタン資料』増補改訂版(カトリック浦上教会歴史委員会編、2019年)中の「浦上小教区沿革小史」記載の1981年以降の出来事も加えて小教区の歴史を紹介。合わせて、長崎原爆資料館等が所蔵する被爆前・後の写真もパネルにて紹介します。また、パンフレットで紹介している敷地内の石碑や聖像等についても、地図パネルを新たに設け、見学される方の一助となるよう工夫しています。
② 聖体顕示台やカリス等を工夫して展示
遺品の中には祭具が多数あります。いずれも19~20世紀のヨーロッパ製で、よく観察すると美しい装飾が施されていたことがわかります。
被爆時には、浦上天主堂で「告解の秘跡(ゆるしの秘跡)」のため主任司祭西田三郎師と助任司祭玉屋房吉師、そして数十人の信徒が堂内にいましたが、衝撃波と爆風で天主堂は全壊し、堂内に集っていた人々は皆亡くなりました。これらの祭具は、被爆時に堂内で使用されていたもの、もしくは大祭壇の東側(裏側)の祭服祭器室(香部屋)に保管されていたものと考えられます。
被爆時の衝撃とその後の火災により、祭具は大きく歪み、また粉々になってしまっているものもあります。今回のリニューアルでは、残された破片等から、特定できるものについては解説板にその名称を示し、また、聖体顕示器(オステンソリウム)を立てて展示する等、本来の形がわかるよう、工夫しています。 |
③ 磔刑像・小鐘・石像頭部等が置かれた
部屋の懸垂幕(バナー)の工夫
信徒会館のロビーの西側には、小さなガラス張りの部屋が設けられており、そこにも遺品がたくさん展示されていますが、奥まっているからか、見学者の中には入られない方もおられるようです。しかし、1921年に天主堂を訪れたローマ教皇使節(現教皇大使)フマゾーニ・ビオンディー大司教が寄贈した大きな「聖体ランプ」や、今も鳴り響いている大鐘とともに、対で1922年にフランスの信徒が寄贈した「小鐘」等、大変貴重な遺品が展示されています。
今回のリニューアルでは、外光から遺品を守るとともに、部屋の存在を一般の方々にも気付いてもらえるよう、1945年10月に撮影された旧浦上天主堂の被爆遺構の写真を大きく引き伸ばして、ガラス一面を懸垂幕として覆います。大きな写真に包まれた空間では、被爆の傷跡が痛ましい中にあって人々が懸命に生きようとする往時の浦上の地に立つかのような感覚となられるかもしれません。
④ 新たな展示物
リニューアルにあたり、信徒の皆さんにも、ご協力をいただき、各家庭で大切に守られてきた被爆遺物の聖母マリア像等をご寄贈をいただきました。
また、司祭館にて保管してきた、石造の「天使像」も展示します。これは、長崎に原爆を投下したB29爆撃機ボックス・カーの乗員のひとりであったレイモンド・ギャラガー氏が、『私なりの平和の意思表示』としてジョン・オマリー司祭(広島市の庚午カトリックセンター、当時)に託し、1985年9月4日に浦上教会に返還されたものです。アメリカの海軍に所属していたギャラガ一氏の兄弟ジョン・ギャラガ一氏が、1945年9月に長崎に進駐した際に浦上天主堂の遺構の中から拾ったものです。同形の天使像が日本二十六聖人記念館、長崎純心大学博物館、そして長崎原爆資料館にも収蔵されており、旧天主堂の柱頭を飾っていたのではないかと考えられています。 |