2020 |
インターネット版 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
「光あれ。」 こうして、光があった。 (創世記1・3) |
発行所 カトリック浦上教会 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
評議会広報委員会 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
メールアドレス | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
uracathe@hkg.odn.ne.jp | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
目次 《特集》フランシスコ教皇様来崎 「記録として残す」被爆75年、果たして私たちは…。 新年のご挨拶 御降誕と新年を迎えて 南 時眞助祭様 叙階お祝い式 評議会だより 今月の典礼担当地区 教会学校 浦上四番崩れ 今月の聖人 地区集会日程 浦上街道 赤鉛筆 |
11月24日(日) 長崎空港⇒爆心地公園⇒ 西坂公園⇒県営野球場 子供たちの感想文 主任司祭 ペトロ 久志 利津男 評議会議長 藤田千歳 聖夜ミサと新年・新成人のお祝い 12月27日(金)テグ教区司教座聖堂で助祭に叙階 行事などのお知らせ 1月と2月の典礼当番 クリスマス会、クリスマスツリー点灯式 「旅」の始まりから150年特集(12) 家族で霊名の日を祝いましょう 1月の地区集会日程表 司祭への道のり「助任時代」(19) 編集後記 |
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フランシスコ教皇様来崎 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
《爆心地公園》 「いのちの文化、ゆるしの文化、兄弟愛の文化が勝利を収めるよう、毎日心を一つにして祈ってください。」 写真:カトリック中央協議会 写真:カトリック中央協議会 教皇様は深堀 繁美さん(浦上教会)と下平 作江さん(城山教会)からの花輪を受け取り記念碑に捧げられた。雨の中で、空に目を向けたあと沈黙のうちにしばらく祈りを続けられる姿にだれもが感激した。 写真:カトリック中央協議会 ・深堀 繁美さん 争いのあるところに平和は生まれない、平和を大切にすることは命を大切にし、ひいては愛を実践することだと改めて思いました。 《県営野球場 1》 「わたしたちは、悔い改めた盗人と同じように、苦しむ罪なきかた、主イエスを弁護し仕えるために、声を上げ、信仰を表明する瞬間を生きたいのです。」 3万人が教皇様とともに祈りを捧げた。午前中の雨がうそのように晴れ上がり本当に驚いた。 写真:カトリック中央協議会 写真:カトリック中央協議会 写真:カトリック中央協議会 写真:カトリック中央協議会 写真:カトリック中央協議会 |
まだあの感激が思い出される。昨年11月23日から26日の日程でフランシスコ教皇様(第266代)が来日された。2018年に日本行きの希望を表明されて以来ずっと待ち続けていた私たちにパパ様は「すべてのいのちを守るために」のメッセージを携えてやってこられた。 この行程の中、24日に長崎を訪問された。被爆地長崎への訪問は教皇様ご自身が強く望んでおられたことで、限られた滞在時間の中で、市内3ヶ所を訪れ多くの長崎の信徒たちとのふれあいの時を過ごされた。故ヨハネパウロ二世以来38年ぶりであった教皇様の長崎での軌跡を振り返ってみたい。 《長崎空港》 山脇 守神父様と泊 光治教区評議会議長のお迎え。橋口 康子さん(水主町教会)、小川 仁美さん(植松教会)の花束贈呈。 写真:カトリック中央協議会 《西坂公園》 「この場所から、世界のさまざまな場所で、信仰ゆえに今日も苦しみ、殉教の苦しみを味わうキリスト者とも心を合わせましょう。」 教皇様は潜伏キリシタンの子孫三世代(外輪保良さん、小島 真知子さん、小島 楓帆さん・浦上教会)の家族から花輪を受け取り、記念碑へ献花された。 写真:カトリック中央協議会 写真:カトリック中央協議会 写真:カトリック中央協議会 《県営野球場 2》 写真:カトリック中央協議会 写真:カトリック中央協議会 《大司教館》 教皇様は昼食と休息を大司教館で取られた。お使いになった机や食器などは後日展示が行われ信徒に披露された。 ミサで使われた椅子 教皇様より長崎教区に贈られたパテナとカリス |
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1年 とみたふう きょうこうさまへ、きょうこうさまにはじめてあってうれしかったですよ。またいっぱいきてもいいですよ。またいっぱいミサをしてくださいね。きょうこうさまたいちょうはどうですか?またこれるときには、きてください。つぎはいつきますか?つぎもこれないことはさみしいですよ。きょうこうさまだいすきですよ。 1年 山田 優莉 パパさまにあいました。しろいふくをきていました。いっしょにへいわのためにおいのりをしました。おめぐみいっぱいでした。 1年 竹中 さら パパさまがわたしのあかちゃんからいいこいいこしてもらったのでうれしかったです。パパさまにあえてうれしかったです。 いっぱいおいのりをしてうれしかったです。 2年 ふかい あきと ぼくは、きょうどうきがんをしました。きょうどうきがんではひとがなんびゃくにんもいて、きょうどうきがんをいうのははずかしかったけど、じょうずにいえてうれしかったです。 ぼくはもうちょっと顔をあげてはっきりいいたかったです。 パパさまのちかくでいえてうれしかったです。 絵:6年 村田 詩帆さん |
4年 内橋 愛 私はフランシスコ教皇さまのミサにあずかりました。その時に聖歌たいの席にいました。 待っている時に、どこにいるのかなとドキドキわくわくしました。教皇様が来られた時会場全体から「ビバエルパパ」と聞こえてきました。みんなが教皇様を賛美していました。ミサの翌週、私はある新聞に目をとめました。 その時に一番目についたのは、教皇様が爆心地公園で頭を垂れて祈っておられる様子でした。 祈りはキリスト者にとって大切なものだと思います。祈りは見せびらかすものでもない、自分の心に向かって神様にそっと願うものだと思います。核兵器は人の夢をこわす、人間の命をうばう物です。ひばくした人の思いは消えてはいけない物です。原爆はもうしてはいけない。核兵器は一つもあってはいけない物です。相手をこわがらせるためにおどすのではなく、ちゃんと話あっていた方がいいと思います。どんなに小さな小さなけんかでも、それが大きくなると国と国との争いが始まる。けんかはいけない事です。 教皇様のミサの時晴れました。それはみんなが、祈ってかなえられた奇跡とかんがえていいと思います。これからも神様にみんなの事、平和な事をねがっていきたいです。 6年 小島 楓帆 11月24日は、パパ様に会うことができてよかった。これからは、会えるかは分からないけど、まぢかで会うことができたのでよかった。 6年 森 真理子 教皇ミサに参加して、テレビでも教皇さまは優しい人と報道していてそのやさしさを実際にミサに参加して、もっと強く感じることができました。 私は、このミサで教皇様のように周りの人に優しく接していきたいと思えました。改めて教皇様に会えてとてもうれしいです。 |
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「記録として残す」被爆75年、果たして私たちは…。 主任司祭 ペトロ 久志 利津男 |
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迎 春 被爆75年を迎え、亡き被爆者の安息と世界の恒久平和を願いつつ平和を祈るフランシスコ教皇 長崎・爆心地公園 2019・11・24 今年の年賀状は、原爆落下中心地の碑の前で献花後、しばらく祈っている教皇様とその思いを一つにしている参列者の写真を使用させていただきました。その上下に記した言葉です。まさにそれは「時のしるし」だと実感しています。 昨年の11月24日、フランシスコ教皇様が長崎を訪れた最初の場所がこの爆心地公園でした。全世界が注目する中で、「長崎誓いの火」を教皇様に手渡す高校生平和大使の内山 洸士郎さん(鎮西学院2年)の補佐役となった私ですが、今にして見ると、この大役は決して偶然ではなく、今年の被爆75年に向けての準備の一つだったと思えたものですから、このような年賀の形を取らせていただきました。 |
大司教館側から見た被爆後の浦上天主堂 2020年・令和2年が明けました。長崎市はこの被爆75年を迎える今年、「記録として残す」をテーマに掲げ、様々なイベントを企画しています。長崎県に生まれ、そして生きてきた私たちは同じ県民・市民として、被爆して亡くなった方々を改めて心から偲びつつその御霊の安息を祈ると共に、市が予定しているそれらのイベントに耳を傾け関わっていくように努めなければならないことは言うまでもありません。 同時に、あの原爆で多くの浦上の信者を亡くした私たち浦上教会は、果たしてこの年をどのように過ごし、何を残していくのか、いや何を残していくべきかを真剣に話し合い、行動をともにしていくことが必要に迫られてくるでしょう。 ご存知のように、教会学校の新築に向けて、これから具体的に話が進むことになります。少子化など時代の変化に伴い、教会学校を含む多目的な視野を入れての建物に言及されるかもしれません。いずれにしましても、切実な課題として多くの意見を踏まえての英断が求められます。 そしてもう一つ。それは信徒会館2階フロアーにある原爆資料室です。この場所に、市の原爆資料館にはない貴重な被爆遺産が数多く展示されていることを浦上の全信徒が周知しているかは不明で、観光客の方々が実際に食い入るように観覧している姿を見まして、気になるのがもう少し展示会場としての整備と教会独自の特徴を生かした内容が必要だということです。 「記録として残す」被爆75年、果たして浦上の私たちは何を残すのでしょうか! |
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新年のご挨拶 評議会議長 藤田千歳 |
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2020年の輝かしい新年を迎えられた浦上教会に属されるすべての皆様に、新春のご挨拶とお慶びを申し上げます。 さて、昨年はフランシスコ教皇様の来日・来崎の「神様からのお恵み」を頂さました。38年前のヨパネ・パウロニ世教皇様の時の大雪と、まさしく奇跡とも言える今回の大雨の後の快晴は私たちの脳裏に深く刻み込まれ、終生忘れることがない出来事となりました。 来日中のフランシスコ教皇様の現在の世界を深く憂慮された様々の発言は、一人ひとりができる範囲で行動を起こしなさいとの励ましの声でしょう。 |
そして、本年の3月には久しく誕生しなかった「浦上出身の神父様」が叙階される予定です。平和町出身の青田助祭様の上に神様の恵みが豊かに往がれますように祈ってまいりましょう。 また今年は「被爆75年」の節目の年であります。未来に向けて悔いのない記念の年と致したいものであります。 浦上教会共同体は信徒数の多さ等に伴い、様々な課題が山積致しておりますが、知恵を絞って一つ一つ問題の解決を図り、現在の教会に所属している大人は勿論のこと、特に将来の浦上教会を背負っていく子供たちの信仰教育を含め。今後の教会の発展に皆様のお力添えを宜しくお願い申し上げます。 |
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御降誕と新年を迎え | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
12月24日、主の御降誕をお祝いする聖夜ミサが2回に分けて行われ、多くの信徒が集い、救い主の誕生を喜び共に祈りを捧げました。 18時30分のミサを司式された中村倫明司教様は、ひと月前に開催されたフランシスコ教皇様のミサについて振り返り「司教の私以外にも、皆様の中でパパ様に握手やハグをしていただけた方がいらっしゃるかもしれません。この感激を一人のものだけにせず、他の人とも分かち合いましょう」と呼びかけられました。昨年9月の司教叙階以来、初めての浦上教会での主司式のミサとなりました。 |
続く21時からのミサは髙見三明大司教様と司祭団との共同司式で執り行われました。司祭団の入場後、大司教様が馬小屋へ御子様を置かれミサが始まりました。大司教様は「今日私たちのために救い主がお生まれになったことを全世界の人々と一緒に心を合わせてお祝いしましょう」と呼びかけられました。 さらに説教では「フランシスコ教皇様はイエス様のように全身全霊で、すべての人を慈しみ、愛そうとしておられます。その笑顔、言葉、行動のすべてがイエス様の姿を彷彿させ、世界中の人たちを魅了しています。今日私たちが目の当たりにする、飼い葉桶の幼子イエス様の姿にこそ救いのしるしがあることを悟り、教皇様の姿を通してイエス様の姿を見ることができるように祈りたいと思います」と語られました。 |
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浦上教会では1月1日「神の母聖マリアの祭日」をお祝いする新年ミサが、髙見三明大司教様と中村倫明司教様をお迎えして執り行われました。 ミサには浦上教会信徒をはじめ帰省した親族、観光客ら沢山の方が参加されました。 髙見大司教様は「明けましておめでとうございます。昨年教皇様が長崎に来られ時には、大変お世話になりありがとうございました。今年は教皇様のメッセージや、長崎に来られた事の意味を良く考え沢山のお恵みが与えられますように祈りたいと思います」と挨拶されました。 |
久志主任神父様も説教で「雨の中、原爆落下中心碑の前でのフランシスコ教皇様の祈りは多くの人々に感動を与えました。教皇様と同じ心で世界恒久平和を願いましょう。今年は被爆75周年です。長崎市が行う様々な行事に関わりをもって行動を共にしていきましょう」と呼びかけられました。 ミサの最後に新成人のお祝い式があり、久志主任神父様より温かい祝辞と記念品が贈られました。又、藤田評議会議長からもお祝いの言葉が述べられました。 髙見大司教様は新成人に向けての祝辞で「これまでのいただくこと中心から、今度は自分に何ができるか、与える側になって教会と社会に協力をして欲しい」と希望された。 ミサ後は信徒会館に移動しお祝い式が行われ、新成人と主任司祭による鏡開きで、新年と新成人の門出をお祝いしました。 |
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南 時眞助祭様 叙階お祝い式 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1月5日(日)、「主の公現」の祭日9時30分のミサの中で、南 時眞(ナム シジン)助祭様の叙階お祝い式が執り行われました。 南助祭様は韓国大邱教区の出身で12月27日に助祭に叙階されたばかりです。叙階式には浦上教会からも久志主任神父様と、尾髙神父様も列席され祝福をされて来られました。 南助祭様は「私の霊名はステファノです。記念のカードには聖ステファノの言葉、『主よ、この罪を彼らに負わせないでください』を使わせていただきました。貧しい人々のため、世界平和のために沢山のお祈りをよろしくお願いします」と挨拶され、信徒も万雷の拍手でお祝いしました。 |
司祭叙階後は長崎教区で司牧されます。金(キム)神父様に次ぐ南助祭様のためにお祈りください。 |
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評議会だより | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
【1月】 (1日)神の母聖マリア祝日(守るべき祝日) 0時・7時30分・9時30分 <典礼> 新年のお祝い・成人のお祝い 9時30分 <信生> 年詞交歓会 9時30分ミサ後 信徒会館<信生> 年詞交歓会料理奉仕 <女性> (3日)初金ミサ (女性部担当地区: 平野・平和・小峰) 10時 被爆マリア小聖堂 <女性> 十字架の道行 19時 聖堂 <本部> (5日)主の公現 <典礼> 評議会 19時 信徒会館 <本部> (9日)被爆者のための祈り 10時 被爆マリア小聖堂<レジオ> (11日)堅信式リハーサル・祝賀会準備 9時 聖堂 <信教> (12日)主の洗礼 <典礼> 堅信式 9時30分 <信教> (19日)3学期始業ミサ・始業式 7時30分 <信教> クリスマスうまや撤去 13時 <壮年> 新年交流会(詳細未定 ) <壮年> (20日)旅の日 記念ロザリオ 「旅する教会の神秘」 5時30分 <典礼> (21日)小学生勉強始まり <信教> (25日)中学生勉強始まり <信教> (26日)世界子供助け合いの日献金 <典礼>
令和元年12月、久志主任神父様の温かいご配慮のもとに今年の冬も貧しい国々のために、またその国々で働いておられる神父様、シスター方々のために浦上教会の愛の献金箱より送金させていただきました。 神父様はじめ信徒の皆様へ心より感謝申しあげます。 [送金明細] ・レデンプトリスチン修道会(ハイチ) \200,000 ・純心聖母会(ブラジル) \200,000 ・クリスマス愛の献金 \150,000 ・幼きイエズス修道会(カンボジア・チャド) \100,000 ・日本カトリック信徒宣教者会 \50,000 ・社会福祉 別府光の園 \50,000 ・浦上養育院 \50,000 |
【2月】 (2日)主の奉献(ローソクの祝別) 6時 <典礼> 日本26聖人殉教記念ミサ 場所:西坂殉教地 時間:14時より ○雨天時は中町教会にて実施。 ○浦上教会から西坂まで巡礼。 出発:12時40分 聖ルドビコ像前 <信使> 評議会 19時 信徒会館 <本部> (5日)日本26聖人殉教者 6時 <典礼> (7日)初金ミサ (女性部担当地区:平野・ 平和・小峰) 10時 被爆マリア小聖堂 <女性> 十字架の道行 19時 聖堂 <本部> (8日)被爆者のための祈り 10時 被爆マリア小聖堂 <レジオ> お別れ遠足 <信教> (9日)病者のための祈り(11日ルルドの聖母) 9時30分ミサ後被爆マリア小聖堂 <在世> (16日)浦上小教区への転入者紹介 9時30分ミサ中 <シャロ> (20日)旅の日 記念ロザリオ 「旅する教会の神秘」 5時30分 <典礼> (23日)初聖体式ミサ・感謝の集い 9時30分 <信使> (信愛幼稚園、ローザ保育園、 うみのほし保育園、純心幼稚園) (26日)灰の水曜日 大斎・小斎 6時 <典礼> (28日)十字架の道行(四旬節中の毎金曜日) 四旬節の最初の金曜日から 聖金曜日まで、 毎週金曜日に十字架山にて 「十字架の道行」 担当地区:19時30分 十字架山 教会では19時より「十字架の道行」 <典礼> |
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今月の典礼担当地区 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
《1月》 1日[水] 神の母聖マリア 本部 世界平和の日 5日[日] 主の公現 高尾B 12日[日] 主の洗礼 本原 19日[日] 年間第2主日 扇 26日[日] 年間第3主日 石神1・辻2 |
《2月》四旬節 2日[日] 主の奉献 石神2 5日[水] 日本26聖人殉教者 9日[日] 年間第5主日 大手・女の都 11日[火] 世界病者の日 16日[日] 年間第6主日 辻1 23日[日] 年間第7主日 本尾1 26日[水] 灰の水曜日(大斎・小斎) |
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教会学校 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
■クリスマス会 12月14日(土)、恒例の教会学校クリスマス会が行われた。教会学校の子供たちが、それぞれ自分の友だちを招待し総勢150名が集まった。 第一部の「みことばの祭儀」の中で、尾髙神父様は子どもたちに「初めて教会を訪れたお友だちは?」と尋ねると、子どもたちの三分の一が手を挙げていた。 第二部のお楽しみ会では、子ども有志6人が「まりあのこもりうた」の絵本を朗読、その後カテキスタが世界には学校に行きたくても行けない子どもたちのことをDⅤDで紹介した。次に動きを取り入れ、宮原神父様と学生会が「これな~んだのゲーム」で会を盛り上げた。 最後にサンタが登場しプレゼントをいただく前に、信徒会館に飾られた馬小屋のイエスさまを紹介したら、幾人かの子供は「知ってる、保育園・幼稚園で見たことがある」と目を輝かせていた。主イエスをこのような形で伝えることは一番伝わりやすいのだと感じた。 この日のためにご協力くださった信仰教育委員会の皆様本当にありがとうございました。 |
■クリスマスツリー点灯式 令和元年11月30日(土)午後5時30分から、恒例のクリスマスツリー点灯式が宮原神父様司式で行われた。光の道とベル隊のベルの音が優しく一つになって浦上教会境内に響いた。堅信の準備をしている中学生も加わり、共に主の到来の準備が始まった。 参加者の中には、神奈川から観光で来訪したという小学1年生とそのご家族がおられた。点灯式があると知って観光先をわざわざ変更し、点灯式の時間に合わせて浦上教会を再び訪れてくれた。彼女らは教会学校の同じ年頃の子どもたちが各役割をしっかり果たす姿を目にし、点灯の瞬間に立ち会ったが、あたたかな雰囲気に魅了されたのか、彼女らの目は輝いていた。まさに主イエスに出会った瞬間だったかもしれない。 この点灯式は、教皇様の思いに応え、長崎から「平和の祈り」をこめた福音化宣言の一ページだとも思う。これからも主の平和が隅々に広がるよう祈り続ける決意を新たにした日でもあった。参加してくださった皆さん、協力してくださった保護者、信仰教育委員会の皆さん、ありがとうございました。 |
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浦上四番崩れ 「旅」の始まりから150年特集(12) |
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先祖たちの流配先を巡るまえに、浦上キリシタンの流配と帰郷を見届けたビリヨン神父様が、大浦の司祭館から涙で見送った時の様子を「ビリヨン神父の生涯」から紹介します。 港を見下ろす大浦天主堂 「日本の天主公教会が、信仰の自由を享受するまでには、まだ幾つかの峠を越さなければならなかった。再度のキリシタン追放令がそれであった。この話は、明治元年(1868)の4月頃から始まる。 猟犬が獲物を狩るようにキリシタン信者が狩り出され、暴き立てられた。かばかりの生命財産よりも、永遠の福楽を約束する信仰をより貴しと見て、この信仰ゆえに遠島の刑に処せられることとなった老若男女が数珠繋ぎに繋がれて、用意の御用船の碇泊している海岸へ引かれて行った。夜は海辺に炬火が焚かれて、不気味な火炎が海面に反射していた。物々しい役人監視の中に…船頭の合図で船の錨が上げられ、船は静かに動き出した。 信者達は十字架を切り、婦人達は聖堂内で用いる白布の被布を頭にかけて祈りを唱え、頑是ない子供達も、紅葉のような手を合せて、父母達のするようにした。流刑者達の眥は、一斉に、キリストの聖名のため |
に生命をなげうって逝った…立山に注がれた。船が港を離れようとした時、子供が母の裾にまつわって『阿母、阿母、帰ろう、帰ろう』と長崎の町を指さした時には、船中みな貰い泣きに泣いた。 丘上の天主堂の館から、この光景を遙かに見送っていたビリヨン神父は、…いじらしい光景を眼の前に眺めて、どうすることも出来ない身の焦燥に駆られつつ暗然とうな垂れて、長嘆息を吐くばかりだった。 天主堂神父館の周囲には、役人達が警戒を厳にし、神父達の一挙一動を一々監視しては、脇差の鍔をカチカチ鳴らして…物凄い不気味さの中に、神父達は生きた心地もなかった。…。 かくて捕われたキリシタンは、次々と御用船に乗せられて、遠く肥前から中国筋、さては加賀、大和、尾張の諸国へ流された。…ビリヨン神父達は…ひたすら平和な日の到来を天主に祈り続けていた。が、こうした中にも、信仰を守るために、様々の難渋を忍んでいる遠国のキリシタンの便りが、神父達の涙に伝わって来て、…彼らを想うこと慈父の如き神父達の胸は、張り裂けるばかりの悲嘆に掻き乱されるのであった。 明治3年の師走はこうした情勢の中に暮れた」。 西役所 長崎海軍伝習所の絵図 |
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家族で霊名の日を祝いましょう | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
<今月の聖人> | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1月 January 1日 神の母聖マリア 2日 聖バジリオ 聖グレゴリオ(ナジアンズ) 司教教会博士 17日 聖アントニオ修道院長 21日 聖アグネスおとめ殉教者 24日 聖フランシスコ・サレジオ 司教教会博士 25日 聖パウロの回心 28日 聖トマス・アクィナス司祭教会博士 31日 聖ヨハネ・ボスコ司祭 |
2月 February 3日 福者ユスト高山右近殉教者 5日 日本26聖人殉教者 6日 聖アガタおとめ殉教者 10日 聖スコラスチカおとめ 14日 聖チリロ隠世修道者 聖メトジオ司教 22日 聖ペトロの使徒座 |
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ある方から「浦上街道」を心待ちしていると聞かされ、「昔のことをよく覚えていますね、日記に書いていたのですか」の問いに、三日坊主の私が日記をつけるわけはなく、「記憶を辿りました」と答えたのですが、その通り。これからも思考停止予防のためにも過去の出来事を思い巡らしながら、今年も実話の私史「助任時代」は続きます。もう少し、お付き合いください。 三浦町教会との別れも近づいていたある日、岩永主任神父様から言われたことをいま噛み締めています。「主任として任せられた教会で精一杯司牧しなさい。特別なことがない限り、かつての教会には行かない方が賢明だよ!」。遺言とも思え、心しているつもりです。ご自身もかつての教会には行くこと |
はありませんでしたが、関わっていた信徒の皆さんを大歓迎していたのはとても印象的でした。一つはいま居る主任司祭への配慮です。決して過去を忘れ、恩人を無視するというのではなく、現在の自分が位置する立場に重きを置き、そこに居る先輩・後輩司祭への気配りであることは言うまでもありません。 6年に及ぶ助任生活、感慨深いものがあります。司祭生活の基礎を築き、司祭としての喜びと実りを肌で感じさせてくれたこと、様々な行事を介して多くの方々と知り合い関わったことが大きな財産となっております。 時は流れても、岩永神父様との関わりは深く強く続きました。お互い、小遣いのやり取りはありましたが、結果的には私がかなり多く戴いたようです。 |
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主のご降誕と新年のお喜びを申し上げます。先日の神の母聖マリアの祭日に長女の成人式を祝っていただいた。司式してくださった大司教様、補佐司教様、神父様方には神さまからの大きな愛とお恵みを、新成人へ届けてくださり感謝▲「これからは与えられるだけでなく、与える人にもなってほしい」との大司教様のお言葉を胸に新成人たちそれぞれが自分の道を歩んでほしいと保護者の一人として祈り、願っている▲2020年は平和の祭典オリンピックの年。そして、ここ長崎では被爆75年を迎える節目の年でもある。昨年のパパ様の来日により日 | 本中の平和への意識が高まった。その熱気はまだ消えてはいないと信じたい。かつては学校での平和学習の折には被爆者の方々から直接お話を伺っていたが、最近ではほとんど行われなくなっている。新成人たちが小学生の頃くらいまでではなかっただろうか。それは言うまでもなく被爆者の高齢化が一因で、この現実はどうすることもできない。「あなたに、話がある」とパパ様は私たち一人ひとりの良心を呼び起こし祝福し、核廃絶を強く世界に向けて訴えてくださった。被爆地から平和を発信する担い手の一人となりたいものだ。 |