2020 |
インターネット版 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
わたしは言っておく。 (マタイ5・22、28、32、34) |
発行所 カトリック浦上教会 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
評議会広報委員会 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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目次 大邱の叙階式にあずかって 堅信式 評議会だより 壮年会 新年交流会 今月の典礼担当地区 浦上四番崩れ 今月の聖人 地区集会日程 浦上街道 赤鉛筆 |
助任司祭 ガブリエル 尾髙 修一 27名に堅信の秘跡 行事などのお知らせ 今年も機動力を発揮 2月と3月の典礼当番 「旅」の始まりから150年特集(13) 家族で霊名の日を祝いましょう 2月の地区集会日程表 司祭への道のり「助任時代」(20) 編集後記 |
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大邱の叙階式にあずかって 助任司祭 ガブリエル 尾髙 修一 |
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夜に降り立った韓国には、冷たい風が吹いていた。クリスマスが過ぎた昨年末、ステファノ南時眞(ナム・シジン)神学生の助祭叙階式にあずかるため、韓国に行かせていただいた。韓国に行ったのは初めてではなかったが、パスポートの有効期限が切れていたので、再発行し準備を整えていた。 2019年12月27日、韓国・大邸(テグ)大司教区で行われた叙階式では、10名が新司祭に、7名が新助祭に叙階された。 ナム新助祭、おめでとうございます。一つの教区でこんなにたくさんと驚くかもしれないが、これでも減っているのだという。うろ覚えで申し訳ないが、大邸大司教区には、教区司祭が約500名、信者が約48万人いるそうだ。これは、日本の信徒数を上回る数で、長崎教区と比較しても「桁が違う」わけだ。 叙階式は3時間を超えた。新司祭が10名いるわけだから、共同司式している司祭たちが10名それぞれに按手をすると、それだけでも時間がかかってしまう。じっと見ていると、一人の司祭が新司祭5名に按手をしていた。 式の最後には、長崎からこのミサに与かった髙見大司教様、中村司教様、そして福岡教区の杉原神父様の挨拶があった。この時、通訳を見事に果たしたのがキム・ボム神父様だった。日本語は上手でも、かえって韓国語が出てこなかったらしく、四苦八苦しているようだった。キム神父様のおかげで聖堂内は和やかな空気に包まれ、笑い声が響き渡り、長かった式の疲れも吹っ飛んだように感じた。 叙階式の中で新司祭・新助祭が紹介された際に特徴的だったのは、新司祭・新助祭の応援団。出身小 |
教区の信徒たちが、手作りの横断幕やうちわで場を盛り上げ、声をあげて新司祭・新助祭を応援している姿は韓国独特なのだろうか。 もう一つは、聖歌がすばらしかったということ。言葉はわからないが、曲調が心地よく響いた。ミサの最後の祝福前に大邱の司祭たちが全員で歌った歌が印象に残っている。 ところで、教会レベルでの長崎と大邱とのかかわりはまだ10年経っていないと思うが、長崎教区は大邱教区から神学生を受け入れ、日本で勉強させ、司祭に叙階した後、その司祭は10年は長崎教区で司牧することになっている。ナム新助祭もこれに当てはまる。 叙階式が終わった後、韓国の友人司祭と再会を果たすことができた。現在は大邱大神学校の校長職にあるこの司祭から「歳取ったな」と言われた時は「お互いさまでしょ」と言って笑い合った。今もこうしてつながっていることに感謝した。これから長崎と大邱の教会関係が深まっていくことを願った。 ナム助祭叙階記念のカード |
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堅信式 27名に堅信の秘跡 |
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1月12日(日)主の洗礼の祝日、9時30分のミサで浦上教会の堅信式が執り行われた。今年は中学生(男性10名、女性9名)成人(男性3名、女性5名)の27名が髙見大司教様より堅信の秘跡を授かり、大人の信者として浦上教会共同体の仲間入りを迎えた。長崎教区の堅信式は毎年1月に行われる浦上教会から始まることになっている。またこの日は中国吉林にある大神学校の養成者6名と韓国大邱教区の養成者3名の訪問もあり髙見大司教様より紹介がされた。 大司教様は受堅者に向けて「洗礼によって神の子となった私たちは、いただいた神様を伝えるという使命を、この堅信の秘跡を受けることで、さらに自覚し責任をもって果たしていってください」と呼びかけられた。 |
堅信式は受堅者の紹介で始まり、長崎教区の伝統に従い要理を学び、教会共同体の熱心な祈りのうちに準備を進めて来た事が久志主任神父様より報告されると、大司教様は喜んで堅信の秘跡を授けますと答えられ堅信式が始まった。 聖霊の続唱に続き、洗礼の約束の更新が行われ、大司教様の「自らの言葉と心で信仰を宣言してください」との問いかけに受堅者たちは大きな声で信仰を表明し、祭壇の前で一人ひとりが大司教様から塗油を受けた。 感謝式では受堅者を代表して谷口昴聖さんが「これから先、教会から足が遠のいてしまうことがあるかもしれません。その時は私たちが堅信を受けることができるよう導いてくださった方々と、今日のこの日を思い出し神様の家へ戻る強い心を持ちたいと思います」と強い決心を示された。 続いて保護者代表の武本清久さんが御礼の挨拶で、「今日の日を迎えるにあたり、大司教様をはじめ、浦上教会の神父様方、信徒の皆さまに御礼申し上げます。私たち保護者、家族、関係者も今後も、ともに教会の一員、キリストの弟子として神様に喜ばれるような行いをすることを心より誓います」と感謝の言葉を述べられた。 |
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■受験者の感想決意 武本 清良 お恵みを受けたからどうというわけではなく、前と変わらず自分らしく生きることを神様も、望んでいると思うので自分らしく生きていこうと思います。 田﨑 紘大 今回、テストがあまりできなくて堅信の秘跡が受けられるのか不安だったけど、無事に秘跡を受けられたから安心した。式本番は、全然緊張せず受けることができた。聖霊の力で。 谷口 昂聖 今回は、受堅者代表として高見大司教様、久志主任神父様、尾髙神父様の前で感謝の言葉を述べられたことが一番の印象と嬉しいことです。この堅信を授かったことに一つの節目を打ちましたが、これからもしっかり教会学校へ通い、ごミサにも与ろうと思います。 戸村 響 私は、堅信を受ける前にもいろいろなことがありました。特に堅信のテストです。最初のテストは、あと少しで合格できませんでした。しかしその後勉強して合格しました。堅信の秘跡では献金当番で本番では、出来が100%と思える出来で、人生のいい経験になったと思いました。 松田 颯太 僕は堅信の秘跡を受けて、少し緊張したけど、返事と花束贈呈を失敗せずにできて良かったです。これからは教会から遠のかないように来れるときにはミサに来たいと思いました。 水間 啓吾 今回の堅信式を受けて改めてキリスト教に入ったんだという自覚を持ちました。これから神さまに喜ばれることをしていき、神様に認められるような人間になっていきたいと思います。 道向 翔大 私は堅信式を受けて初めは、ちゃんとできるか分からなくて緊張していたけど無事に式が終わってホッとしました。これからも神様のことを信じて過ごしたいと思います。 脇内 佑眞 髙見大司教様、浦上教会にきてくださってありがとうございます。尊敬し誇りに思っています。握手してくれてありがとうございます。大ファンであります。笑顔がとてもすてきです。 井上 晴菜 私は、堅信式に参加させていただき最初はどのような式になるのかとても緊張しましたが、大司教様のお話を聞いて、堅信式の大切さが分かる式になり、今まで頑張ったかいがあったなと感じることができました。 久保 亜理紗 堅信の秘跡をうける前は、何をどうすればいいのか分かりませんでした。でも、受けたら聖霊をいただいたのでしっかり生きようと思いました。 中村 維月 私は、堅信式で答唱詩編を歌わせていただく大役を果たすことができました。今までご指導してくださった尾髙神父様への感謝を忘れずに、信仰生活を続けていきたいです。 中山 美咲 最初は間違えそうで緊張していたけど、ちゃんとできていたと思うので良かったです。大司教様の言葉を心に刻んでこれからも頑張りたいと思いました。 宮崎 華和 堅信のテストを受けて、今日、堅信式を受けました。式はとても緊張したけど、しっかり大司教様の言葉を胸に刻んで生活していきたいです。 山田 さくら 堅信の試験と式を終えて、神様に心を近づけ、この経験を胸に刻み、今後の生活を神様と共に過ごしていきたいです。そして、堅信を受けるにあたって、関わってくださったみなさんへの感謝を忘れないようにしたいです。 和田 希美 私は、堅信の秘跡にあずかりました。堅信式は、どのようなことが起きるのか不安もあり緊張しましたが、聖霊を授かることができたのでよかったです。 竹内 琴音 堅信を受けてとても大きな恵みを受けることができてよかったです。式中は、とても緊張しました。これからも、気持ちを新たにして頑張っていきたいと思いました。お祈りしてくださった皆様、ありがとうございました。これからもお祈りお願いします。(お告げのマリア志願生) 小畑 美香 本日堅信の秘跡を無事に受けさせていただき、尾髙神父様や多くの方々に大変感謝しております。この気持ちを忘れず教会の一員として責任を持ち信仰を深めていきたいと思います。 山下 春香 4月に洗礼を受け今日堅信の秘跡を終えることができました。1年間学ぶことにより信仰を固めるため神父様や家族たくさんの人に支えていただきました。この恵みを受けることで感謝の気持ちを大切にしていきたいです。 中野 かおり 堅信の秘跡を受け、昨年の洗礼式とは違う喜びや恵みを新たに感じました。高見大司教様のお言葉の中で、使命や導きという言葉が心にとまり、私自身だけでなく、次の代へこの恵みを伝えていきたいと心から感じました。 中野 周平 本日の堅信式及び堅信に向かう勉強を通してより一層神さまへの理解が深まりました。この信仰を次の世代につないでいく為に、これからの祈りと学びを続けていきたいと思います。 田中 滉一 昨年の洗礼に引き続き、堅信という大きなお恵みをいただくことができて、大変嬉しく思います。今後、信仰生活をしていく上で、自分のためではなく、周りのためにという思いがより一層強まりました。 |
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評議会だより | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
【2月】 (2日)主の奉献(ローソクの祝別) 6時 <典礼> 日本26聖人殉教記念ミサ 場所:西坂殉教地 時間:14時より ○雨天時は中町教会にて実施。 ○浦上教会から西坂まで巡礼。 出発:12時40分 聖ルドビコ像前 <信使> 評議会 19時 信徒会館 <本部> (5日)日本26聖人殉教者 6時 <典礼> (7日)初金ミサ (女性部担当地区:平野・ 平和・小峰) 10時 被爆マリア小聖堂 <女性> 十字架の道行 19時 聖堂 <本部> (8日)被爆者のための祈り 10時 被爆マリア小聖堂 <レジオ> お別れ遠足 <信教> (9日)病者のための祈り (11日ルルドの聖母) 9時30分ミサ後被爆マリア小聖堂 <在世> (16日)浦上小教区への転入者紹介 9時30分ミサ中 <シャロ> (20日)旅の日 記念ロザリオ 「旅する教会の神秘」 5時30分 典礼> (23日)初聖体式ミサ・感謝の集い 9時30分 信使> (信愛幼稚園、ローザ保育園、 うみのほし保育園、純心幼稚園) (26日)灰の水曜日 大斎・小斎 6時 <典礼> (28日)十字架の道行(四旬節中の毎金曜日) 四旬節の最初の金曜日から 聖金曜日まで、 毎週金曜日に十字架山にて 「十字架の道行」 担当地区:19時30分 十字架山 教会では19時より「十字架の道行」 <典礼> |
【3月】 (1日)四旬節第1主日 <典礼> 新小学1年生保護者会 9時30分ミサ後 教会学校 <信教> 本年度亡くなられた会員のためのミサ 9時30分 <壮年> 評議会(役員、評議員改選) 19時 信徒会館 <本部> 講演会 「聖なる過越しの3日間を学ぶ」 9時30分ミサ後 聖堂 <典礼> (6日)初金ミサ 担当地区:上野1・2) 10時 被爆マリア小聖堂 <女性> 十字架の道行 (四旬節中の毎金曜日 19時30分 十字架山 教会では19時より) 詳しくは 「四旬節 十字架山道行き 当番」 表をご覧ください <典礼> (8日)3学期教会学校終業ミサ・修了式 7時30分 聖堂 <信教> 第1回新堅信組保護者会 (小学6年生対象) 9時30分ミサ後 教会学校 <信教> (9日)被爆者のための祈り 10時 被爆マリア小聖堂 <レジオ> (17日)「日本の信徒発見の聖母」記念ミサ 19時 大浦天主堂 <教区> (19日)聖ヨゼフ祭日 6時 聖堂 <典礼> (20日)旅の日 記念ロザリオ 「旅する教会の神秘」 5時30分 聖堂 <典礼> (20日)叙階式 10時30分 聖堂 <教区> |
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壮年会 新年交流会 今年も機動力を発揮 |
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1月19日(日)午後6時から壮年会主催の新年交流会が宝来軒(平野町)で開かれました。 最初に、山田一俊会長から「昨年は色々な行事へのご協力有難うございました。今年度も壮年会の機動力を十分に発揮しお互いに協力し合って行きましょう」と挨拶がありました。 又、壮年会の指導司祭・尾髙神父様も「本日の馬小屋の撤去、大変お疲れ様でした。昨年もいろんな行事が沢山あり、中でも教皇様の来崎という大きなお恵みを頂き、その感動は今でも鮮明です。ご家庭や、お仕事などのいろんな都合もある中で壮年会の皆様方には教会行事に奉仕していただき感謝しております。今年度も宜しくお願い致します」とお礼が述べられました。 |
食前の祈りと乾杯のあと、食事・懇談に入り楽しい夕食会が始まりました。各テーブルでは美味しい料理に舌鼓を打ち、新年の挨拶や旧知の方々との会話がはずむ楽しい新年交流会となりました。(参加者55名) |
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今月の典礼担当地区 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
《2月》四旬節 2日[日] 主の奉献 石神2 5日[水] 日本26聖人殉教者 9日[日] 年間第5主日 大手・女の都 11日[火] 世界病者の日 16日[日] 年間第6主日 辻1 23日[日] 年間第7主日 本尾1 26日[水] 灰の水曜日(大斎・小斎) |
《3月》四旬節・聖ヨセフの月 1日[日] 四旬節第1主日 本尾2 8日[日] 四旬節第2主日 江平1 15日[日] 四旬節第3主日 江平2 19日[木] 聖ヨセフ祭日 22日[日] 四旬節第4主日 江平3 性虐待被害者のための 祈りと償いの日 25日[水] 神のお告げ 29日[日] 四旬節第5主日 坂本1・平野 |
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浦上四番崩れ 「旅」の始まりから150年特集(13) |
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「薩摩(鹿児島)」に行った人たち 薩摩藩に預けられたのは、主に、平野・浜口・坂本辺りの人たち375名。薩摩へ向かって大波止を出港したのは1870年(明治2)1月10日午前10時頃で、薩摩藩の蒸気船「平穏丸」です。鹿児島へ着いたのは翌朝4時頃で、石燈篭(いづろ)が建つ港の岸壁に係留しました。 収容所は福昌寺という薩摩藩主島津氏の菩提寺です。この寺は明治維新の廃仏毀釈で廃寺とされました。建物は広大でしたから、375名では寺の半分にも満たなかったそうです。現在は玉龍中学校・玉龍高等学校が建っています。 福昌寺に着いたのはその日の夕暮れでした。着いてみると、大広間にお茶、火鉢、夜具等が備え付けてあり、死を覚悟していた信徒たちは予期しない待遇に驚きました。 到着後、二~三か月間は改宗の御用を受けることなく、毎日オラショを唱え、教え方の西田貞一が日曜日には要理を教えていました。やがて、二~三か月が過ぎ改宗の説得が始まりました。最初、「改宗を欲する者は長崎へ返すから各自届け出るように」との甘言に、毎日の単調な生活に飽き、望郷の思いもあったことから、教理を知らなかった一部の人たちから46名の改心者がありました。 |
明治4年、政府視察官中野健明一行の説得の際は、一家族ずつに分けられて町内預けとなり、毎日説得がつづきましたが、一か月を過ぎると元の寺に戻されました。そして待遇はもっと良くなり、退屈しのぎの「草履作り」が町の人たちに好評で「キリシタン草履」と呼ばれ珍重されたそうです。その評判は藩主の耳に入り、磯狩用の足半草履は信徒に作らせました。明治5年には出稼ぎが許され、牧場、桑畑、屠牛所、製薬所等で働き好評を得ました。 1873年(明治6)3月14日の太政官の釈放達しまで、三か年間、薩摩役人の厚遇を受けながらも、信徒達の祈り・忍耐・勤労の生活ぶりは、邪宗門者キリシタンの悪感情を取り除き、薩摩の人たちは信徒達の帰省を見送りました。 福昌寺・キリシタン墓地 |
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家族で霊名の日を祝いましょう | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
<今月の聖人> | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2月 February 3日 福者ユスト高山右近殉教者 5日 日本26聖人殉教者 6日 聖アガタおとめ殉教者 10日 聖スコラスチカおとめ 14日 聖チリロ隠世修道者 聖メトジオ司教 22日 聖ペトロの使徒座 |
3月 March 19日 聖ヨセフ 25日 神のお告げ |
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司祭への道のり 「助任時代」(20) 同じ場所、同じ主任の下で6年間は例外だった中、1991年3月に島本大司教様から転任辞令が届きました。「飽の浦教会の助任に任命します」。 そこへ行きたくないというのではなく、代わりたくないという思いが強いゆえに、岩永主任神父様に「ここに居たいんですが!」と素直な気持ちを申しますと、「そのように返事をしたらいい」との嬉しい言葉がありました。すぐに、辞令をいただいたことへの報告の中で、できればもう少しこの教会に留まりたい旨の手紙を大司教様にお送りしました。当然ですが、返事はなく、予定通りの転任となったわけです。 |
長年、同じ屋根の下で生活を共にした大恩人の岩永神父様との別れは言い尽くしがたい思いに駆られるのですが、代わりたくない思いを気持ちよく受け取って「そのように返事したらいい」というこの言葉はどんなにか嬉しく心強かったことでしょうか! 全くの可能性がないにしても私の心を心としていた主任司祭は私の長きに亘る司祭生活の運命を大きく左右した、無くてはならない方であったこと、間違いありません。 いよいよ、別れの日。平日にも関わらず多くの方々が見送りに来られた中で、青年会長のI君が大粒の涙を流して私の手を強く握ってくれたあの感触が未だに残っています。心機一転の思いを胸に長崎の教会に向かう車中では、正直、何か後ろ髪を引かれる思いを心底から持ったのも事実です。 いざ、「桜」満開の長崎へ! |
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*教皇様感動の続編!!! ついに昨年11月24日、フランシスコ教皇様は長崎に来られた。被爆地・長崎では、カトリック信者ばかりではなく、 長崎市民全体が平和の願いと共にどれだけ待ち焦がれたことだろう。また、どのように平和の発信をされ、どのようにミサを捧げられるのだろうか。ワクワクしながら期待していた▲私は朝8時には聖歌隊を引率し、教皇ミサがある長崎県営野球場にいた。あやしい雲が垂れこめ、一発の大きな雷鳴と共に雨が降り始めた。合羽を着ていても体は濡れ、靴の中は水浸しだった。風が強まり、雷雨の中で聖歌の練習が始まった。しかし、昼 |
頃になると今までの荒れた天気は急速に回復し、宇宙まで見えるような青空になった。でも大事な楽譜は雨に濡れグシャグシャ、ところが新しい楽譜が用意されていたのである。素晴らしい!▲聖歌隊は、遠く「京都ノートルダム学院小学校」をはじめ約170人の子供たちと大人をいれると約1200人。いや、もっと多かったようだった。のちに、この教皇ミサを「YouTube」で見たが、会衆と聖歌隊が一緒になった響きは素晴らしかった。ミサの中でみんなと一緒に歌う聖歌の重要さがわかったような気がした。“Vivat Vivat Papa! 平和の使い” |