2020
インターネット版
すぐに網を捨てて従った。
・・・ 舟と父親とを残して
イエスに従った。
(マタイ4・19,22)
  発行所 カトリック浦上教会
評議会広報委員会
  メールアドレス
  uracathe@hkg.odn.ne.jp
目次
「まさか、痛風!?」
園児たちの初聖体
里帰り展示感謝状贈呈
評議会だより
十字架の道行担当表
四旬節の黙想会日程
ようこそ、シスター!
教会学校
日本二十六聖人殉教記念ミサ
今月の典礼担当地区

浦上四番崩れ
今月の聖人
地区集会日程
浦上街道
赤鉛筆

助任司祭 ドミニコ 宮原大地
多くの信徒に見守られ、喜びに満ちた初聖体式
東京国立博物館所蔵キリシタン遺品の特別観覧
行事などのお知らせ


韓国より十字架山へ3名のシスター
「お別れ遠足」長崎バイオパークへ
浦上街道を歩いて西坂へ巡礼
3月と4月の典礼当番
「旅」の始まりから150年特集(14)
家族で霊名の日を祝いましょう
3月の地区集会日程表
司祭への道のり「助任時代」(21)
編集後記
「まさか、痛風!?」
助任司祭 ドミニコ 宮原 大地
 2月のはじめ、急に左足が痛くなりました。レントゲンを撮り、採血をし、MRIで精密検査をしました。まだ結果が出る前に、いつの間にか「宮原神父は痛風で足が痛いらしい」というウワサが広まっていました。確かに、時に贅沢をしてしまっていますので、「痛風なはずがない!」とはっきり否定できない自分がいました。しかし、結果的に血液検査の結果は、どれもビシっと正常値でした。宮原神父痛風説を信じている人もいるかもしれませんので、ここで報告します。私は痛風ではありませんでした。まだ。
 さて、3月は黙想会の季節です。私は先日、四旬節に先立って、上五島の高校生黙想会の指導に呼ばれて行ってきました。上五島の全教会から70数名の高校生が集まり、ゆるしの秘跡やミサを共にしました。講話をして、感想文を書いてもらいました。目を通していると、同じようなことを書いている子たちが多くいることに気付きました。
 「部活や勉強で前ほど教会に来ていなかった」「久しぶりに教会に来た」。中学生までは毎週ミサやけいこに行っていたのに、高校生がなかなか教会に向かわない現状があります。
 「これから出来るだけ教会に行こうと思う」「教会に行きたいけど、春から島を離れるから教会に行く機会は減ると思う」。上五島の子たちは、「上五
島以外には教会はほとんど無い」「上五島を離れたら、帰省したときに自分の出身教会にしか行けない」と割と本気で考えているのではないかと感じさせられました。
 教会へ行き、ミサや秘跡にあずかることで、信者は霊的な体の調子をいつも整える必要があります。黙想会は、その大きなチャンスです。人は神によって触れていただくことで生きる者となります。「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。(創2・6)」。今はまだ何ともないと思えても、霊的な体はいつも神の命の息を必要としています。霊的な呼吸を怠るならば、つまり、神と離れて暮らすならば、それは本当に「生きる者」となっているのか真剣に考え直さなければなりません。
 忙しくて教会になかなか向かわないのは高校生だけでなく、むしろ大人もそうでしょう。忙しい日々、黙想会に出席する時間を惜しいと思う人もいるかもしれません。黙想会は講話の時間だけが黙想会ではなく、その期間を含めて黙想会です。祈りの時間、黙想の時間は、一見時間を多く使いますが、その後過ごす時間をより豊かなものとするでしょう。
 教会共同体で一緒に黙想会の期間を共有し、必要な秘跡にあずかり「生きる者」となることができますように。良い黙想の季節となりますように。
園児たちの初聖体
多くの信徒に見守られ、喜びに満ちた初聖体式

   「よろしくお願いします」

 長崎では、2月17日に最も遅い初雪が降り、コロナ新型肺炎が心配される中、2月23日(日)の今日は、雪から雨に替わるとされる二十四節気の「雨水」にあたる穏やかな春の一日となった。
 そして、9時30分のミサで、久志主任神父様が司式され、尾髙・宮原両助任神父様や南助祭様に見守られ、うみのほし保育園2人・ローザ認定こども園2人・長崎信愛幼稚園5人・純心幼稚園7人、総勢16人の可愛い園児たちが初聖体式にあずかった。男の子は肩に白いリボン、女の子は白いベールに花飾りをつけて、それぞれお父さんやお母さんに付き添われて聖堂に入った。教会の鐘に続いて“今日は楽しい初聖体、私の心にイエス様が~~~”と、子供たちの聖歌でミサが始まった。主任神父様は「子供たちは今日初めてご聖体をいただき、キリストを体に迎えます。お祝いの祈りを捧げましょう」と言われ、続いて、子供たち一人ひとりを紹介された。
 子供たちは少し恥ずかしそうだったが、聖堂の皆さんにはっきりわかるように椅子の上に立ち「よろしくお願いします」と元気よく挨拶をしていた。多くの信者たちも微笑みながら、温かい拍手を贈っていた。「神様を大切に、ミサとお祈りをいっぱいして、友達と仲良くします」と、子供たちの決意の表明があり、父や母と子供の奉納に続いて、待ちに待った初聖体になった。「今日の初聖体のホスチアは、教会学校の子供たちが十字架山の畑で大事に育てた麦から作られています」と、主任神父様から説明があり、多くの信者が見守る中、子供たちは少し不安な中にも喜びの表情を見せながら、初聖体にあずかっていた。神父様方には花束と記念品が贈られ、信愛幼稚園のマリア小泉明日香(あすか)ちゃんが子供の代表として元気なお礼のあいさつをした。
 主任神父様は「初聖体おめでとう。1年生になったら神父様やシスターが教会学校で待っています。お祈りや勉強をし、友達とたくさん遊んで、イエス様が喜ぶ元気な子供になってください」と言われ、一人ひとりに記念のロザリオが贈られ、派遣の祝福で無事初聖体式を終えた。

    「よろしくお願いします」

        「奉納」

    「キリストのおんからだ」

    わたしの心にイエスさまが

   記念のロザリオをいただきました
里帰り展示感謝状贈呈
キリシタン遺品の特別観覧

 昨年の教皇来崎にあわせて行われた、東京国立博物館所蔵のキリシタン遺品の特別観覧について、1月31日に県・市関係者同席のもと、久志神父様より感謝状が贈呈された。
 久志神父様は「禁教期にあっても、大事にしていた信心具が一時的に浦上の地に戻ってきたことは、先祖の魂が信仰心と共に浦上に帰ってきた気がしました。観覧した南山高校の生徒たちにもその信仰心を知る良い機会となったようです。その様子を見ておられた貴館職員の方より、信徒の方が食い入るように観て、遺品に向けてお祈りを捧げる姿に感動した。との感想をいただき、私としても胸が熱くなる思いがしました」と伝えられた。
 それを受け、館長の銭谷眞美氏は今後も遺品は大切に保管し、いろんな場面で観覧できるようにしていきたいと述べられた。
評議会だより
【3月】

(1日)四旬節第1主日      <典礼>
    新小学1年生保護者会
      9時30分ミサ後 教会学校
                 <信教>
    本年度亡くなられた会員のためのミサ
      9時30分        <壮年>
    評議会(役員、評議員改選)
     19時 信徒会館     <本部>
    講演会
     「聖なる過越しの3日間を学ぶ」
      9時30分ミサ後 聖堂  <典礼>
(6日)初金ミサ 担当地区:上野1・2)
     10時 被爆マリア小聖堂 <女性>
    十字架の道行
     (四旬節中の毎金曜日
       19時30分 十字架山
       教会では19時より)
     詳しくは
     「四旬節 十字架山道行き 当番」
     表をご覧ください    <典礼>
(8日)3学期教会学校終業ミサ・修了式
      7時30分 聖堂     <信教>
    第1回新堅信組保護者会
     (小学6年生対象)
      9時30分ミサ後 教会学校
                 <信教>
(9日)被爆者のための祈り
      10時 被爆マリア小聖堂 <レジオ>
(17日)「日本の信徒発見の聖母」記念ミサ
      19時 大浦天主堂     <教区>
(19日)聖ヨセフ祭日 6時 聖堂   <典礼>
(20日)旅の日 記念ロザリオ
     「旅する教会の神秘」
      5時30分 聖堂      <典礼>
    叙階式 10時30分 聖堂   <教区>
(22日)青田憲司新司祭叙階お祝い式
      9時30分ミサ後 聖堂  <信教>
     祝賀会 11時 信徒会館 <信生>
(23日)神のお告げ 6時      <典礼>
(22~24日)
    黙想会夜の部①      <女性>
(23~25日)
    黙想会昼の部   <レジオ・エリ>
(25~27日)
    黙想会夜の部②      <壮年>
【4月】

(1日)雲仙殉教祭参加者募集開始 <信使>
(3日)枝切り奉仕 9時 聖堂前
           <本部・ビン・エリ>
(5日)受難の主日(枝の主日)  <典礼>
    生きておられる全会員のためのミサ
      9時30分        <壮年>
    評議会 18時 信徒会館  <本部>
    新旧役員懇親会 19時   <本部>
(7日)聖香油ミサ 10時30分
     司祭の日祝賀会 12時 信徒会館
                 <教区>
(9日)聖木曜日(主の晩餐)
     19時          <典礼>
(10日)聖金曜日(主の受難)大斎・小斎
     19時          <典礼>
(11日)聖土曜日(復活徹夜祭)
     19時          <典礼>
(12日)復活の主日
      7時30分、9時30分    <典礼>
(12~13日)
    ご復活祭 愛の募金活動
     各ミサ前後       <ビン>

司祭、助祭叙階式のご案内

日 時 3月20日(金) 祝日
    10時30分

司祭叙階者
 ヨセフ青田憲司助祭
 (浦上教会 平和町出身)

助祭叙階者
 パドアのアントニオ
    西田祐尚神学生
      (飽ノ浦教会)
四旬節 十字架山道行 当番
月 日 委員会等 担当地区等
3月6日 壮年・青年・学生 上野1・2、高尾
広報、エリザベット
3月13日 信生・ビンセンシオ
典礼
本原、大手、扇、女の都
信徒使徒職、歴史、在世会
3月20日 信教・レジオマリエ 辻1・2、石神1・2
本部、女性、経済
3月27日 広報・エリザベット 本尾1・2、江平1・2・3
壮年、青年、学生、シャローム
4月3日 使徒・在世会・経済 坂本1・2、平和、平野、小峰
信徒生活、ビンセンシオ、典礼
4月10日
(聖金曜)(午後3時)
エリザベット
ビンセンシオ
本部
全地区
巡礼団は午後2時に教会出発
十字架山での十字架の道行は、四旬節の始まり「灰の水曜日」の週の金曜日から聖金曜日までの期間中、午後7時30分から行います。ただし聖金曜日は午後3時より行います。
また教会内でも、午後7時より「十字架の道行」が行われます。
十字架山へ行けない方は、こちらに参加してください。   
3月 四旬節 黙想会 日程表
日 程 担 当 22 23 24 25 26 27
夜の部 女性部      
壮年会
昼の部 レジオ・マリエ
エリザベット会
   
時 間 昼の部: 9時よりロザリオ・十字架の道行
    その後講話
夜の部:18時30分よりロザリオ・十字架の道行
    19時より講話
◎ゆるしの秘跡
    昼の部: 8時30分~、終了後
    夜の部:18時~、21時~
講 師: 熊川幸徳神父様
     (長崎教区司祭 イタリア留学中)
年の務めです!祈り本とロザリオ持参で必ず参加しましょう!
ようこそ、シスター!
 この度、長崎市三原のイエス聖心侍女会(韓国)は十字架山の旧川内邸に修道院を移転し活動を始めている。
 かねてより修道院移転を計画し移転先を探していた同修道会の意向を受けた髙見大司教様や浦上小教区の協力により実現した。
 修道院には現在3名のシスターが韓国・大邱より派遣されており、主に韓国からの巡礼者のために奉仕している。浦上小教区では十字架山での行事協力など今後の小教区とのつながりを期待している。
教会学校
「お別れ遠足」

 2月8日(土)、教会学校の「お別れ遠足」を行いました。晴天に恵まれ、子ども50名、スタッフ13名が大型バス1台とマイクロバス1台に分乗して「長崎バイオパーク」へ出発です。
 ラマとインコの出迎えを受け、10のグループに分かれて行動します。入園ゲートをくぐるとすぐにフサオマキザルがいます。早速エサやり体験です。しかし先は長いし、あちこちで動物へのエサやりも行われているはずなので、地図を見せながら先を急がせます。
 12時からアンデス広場の「くつろぎのサンルーム」で、全員で昼食です。それぞれ用意してきたお弁当やおやつを食べながら楽しく過ごせました。その後は1時50分の入園ゲート前集合まで、グループで自由行動。カピバラをはじめミーアキャット、アルパカ、レッサーパンダ、シマウマ、ダチョウ、キリン、オオカンガルー、リスザル、カバなどたくさんの動物がいたのですが、果たして子どもたちはどのくらいの動物に出会うことが出きたのでしょうか。

 それにしてもグループごとの行動では、お互いを思いやり、集団としての行動がきちんとできていた姿を見て、世話係の私も本当に感心しました。
 「ありがとう。これからもどうぞ教会学校を盛り上げてください。」とエールを送ります。
            文責 中嶋信行
日本二十六聖人殉教記念ミサ

 2月2日(日)教会学校の子供達、信徒の皆さん105名は12時40分に浦上教会をスタートし、ロザリオを唱えながら約1時間で西坂公園に到着しました。
 午後2時、時折、雲の間から差し込む日差しに温かさを感じる西坂の丘で髙見三明大司教様、中村倫明補佐司教様と50名の司祭団共同司式の殉教記念ミサに、約1500名の信徒が参加しました。
 説教に立たれた本原教会フランシスコ会古里神父様は二十六聖人に含まれる6名のフランシスコ会士とフランシスコ教皇様の殉教地訪問に時を超えた共感を得られている様で、現代に於いても大きな重荷を負っている人に対し沈黙しているのではなく、皆神の家族として共に生きて行く勇気を持つことが出来る様に、この殉教者の聖地で心を合わせ証しして行きましょうとのお話でした。
          信徒使徒職 浦川洋市
 今月の典礼担当地区
《3月》四旬節・聖ヨセフの月

1日[日] 四旬節第1主日     本尾2
8日[日] 四旬節第2主日     江平1
15日[日] 四旬節第3主日      江平2
19日[木] 聖ヨセフ祭日
22日[日] 四旬節第4主日      江平3
      性虐待被害者のための
        祈りと償いの日
25日[水] 神のお告げ
29日[日] 四旬節第5主日  坂本1・平野
《4月》四旬節・復活節

5日[日] 受難の主日(枝の主日)  坂本2
       世界青年の日
9日[木] 聖木曜日(主の晩餐)
10日[金] 聖金曜日(主の受難)大斎・小斎
11日[土] 聖土曜日
12日[日] 復活の主日         本部
19日[日] 復活節第2主日       平和
      (神のいつくしみの主日)
26日[日] 復活節第3主日     岡・小峰
浦上四番崩れ
「旅」の始まりから150年特集(14)
   「長州(萩)」
       に行った人たち①

第一次移送
 1868年(慶応4)長州萩に預けられた信徒は男子66名で、津和野、福山預けの人々と同船して下関に上陸し、滞留2週間の後、陸路で萩へ送られました。
 城下に着くと、直ぐに萩の沖に浮かぶ島「大島」に流され、急造建ての家に収容されました。そのうちの教え方元助以下5名は別の家へ移され、教理・祈りなどの取調べを受け、4日後さらに5名は「羽島」という小島へ送られて20余日監禁されました。一か月もすると、66名は再び萩城下へ呼び戻され、清水屋敷という大きな屋敷に収容されて説得を受けました。別段過酷な責めではありませんでしたが、長崎に帰れるという甘言に、懐郷の念に駆られて改心を申し立てる者が40余名に及びました。残ったのは「羽島」に行った5名と17名の老人だけ、役人たちは改宗責めの「勘弁小屋」という独房を設けて、絶食で責め立てました。この状況の中で元助と甚平は、信仰の危機をさとり、柵を破って大阪へ逃亡しました。その後、東益太郎が未改心のまま牢中で死亡しましたが、他は残らず改心してしまいました。
第二次移送
 1870年(明治2)1月預けの信徒は、男子37名・婦女子197名でした。男子は1月6日長崎を出港し、博多に上陸して首縄を付けられ、町外れの山寺へ連行されました。婦女子は島原丸で10日に出航しましたが機関故障で引返し、代りの芸州丸は風のために平戸の木ケ津に座礁。対岸の日の浦に渡り、大雪の中を陸行して博多に向い、15日の真夜中に牢獄の山寺に着いたときは疲れ果てていましたが、食事も与えられず1匹2匹と数えられて泥足のまま牢獄に投げ込まれました。
 この年は例年にない大雪で、厳しい寒さがつづきました。少ない食事と火の気がない牢獄で薄いせんべい布団一枚しか与えられず、飢えと寒さで一同はやせ衰え、見物の町民に野草を投げ入れて貰い、相争って食べたことは後の語り草に。
 5月になってやっと長州役人が引取り、5隻の和船に分乗して6日目に萩の鶴江台付近の港に到着。更に川船に乗って岩国屋敷に収容されました。
 岩国屋敷は大きな長屋で、正面の左側を男子、右側を女子、中央を役人の詰所に当ててありました。10歳以上の男児は男子部屋に収容され、改宗のための御用が始まりました。
家族で霊名の日を祝いましょう
<今月の聖人>
3月 March

19日 聖ヨセフ
25日 神のお告げ
4月 April

25日 聖マルコ福音記者
29日 聖カタリナ(シエナ)おとめ殉教者

3月の地区集会

地区名 時 間 場 所 担当司祭
辻2 3日 19時 公民館 宮原師
石神1
坂本1 5日 19時30分 公民館 宮原師
石神2 公民館 久志師
辻1 6日 19時30分 公民館 尾髙師
江平 8日 19時 公民館 尾髙師
高尾 公民館 久志師
公民館 宮原師
平和 19時30分 公民館 尾髙師
大橋 9日 19時30分 公民館 久志師
11日 19時30分 公民館 宮原師
平野 12日 19時 喫茶ジャスミン 尾髙師
坂本2 13日 19時 マツオ歯科医院 久志師
小峰 19時30分 深井宅 宮原師
橋口 15日 19時 公民館 宮原師
本原 公民館 久志師
上野2 19時30分 公民館 尾髙師
昭和 20日 19時 文教町公民館 久志師
本尾 21日 20時 公民館 尾髙師
上野1 公民館 久志師
大手 22日 19時 公民館 尾髙師
女の都 28日 20時 教会学校 宮原師
 浦 上 街 道

             久志 利津男
司祭への道のり

     「助任時代」(21)

 1991年、29年前の4月、司祭生活7年目、2ケ所目の赴任先となる飽の浦教会に着任。毛が黒と白、その名も「クロ」と「シロ」の2匹の犬が多くの信徒とともに迎えてくれました。
 初めての夕食。これまで食事では助任が主任に瓶(●)ビールを注いでまずは一杯という習慣だったため、冷蔵庫から取り出した缶(●)ビールを三村神父様に勧めると、「私は飲まないんだよ」と断られ、別の世界にいる自分を否応なしにも受け止めざるをえませんでした。「ここは何処! 私は誰! そう、私はここで、私の主任はこの人なのだ」。1年の司牧で多くの実りある経験をさせていただきました。
 主任の三村誠一神父様は様々なことに長けていました。一つは教会の組織に力を注いでいたことです。組織図に従ってキリストを中心にその代理者である主任司祭が全責任のうちに、信徒の代表者たる評議員(役員)がそれぞれの任につき、信徒たちがバックアップして教会運営にあたる、当たり前のことですがいとも簡単に対処していた姿は本当に勉強になりました。
 病人訪問や地区(班)集会を数ヶ月ごとに主任と助任が交代することは、結果的には平等に小教区の信徒と交える機会を持たせた三村神父様の配慮だった、と感謝しています。
 もう一つ。毎週のお知らせは主任が責任を持って作成していました。口頭で伝えるだけでなく、聞き間違わないように文字で明確に一人でも多くの方々に周知させるためのやり方は今の私に大きく影響しています。
 3月に入り今年度も最後の月となった。多くの行事を紹介してきた、「神の家族」はこの3月号で552号の発行となり。あと4年で600号の節目を迎える事となる▲最近「神の家族」のバックナンバーを読む機会があった。読んだのは昭和49年4月発行の第1号~昭和63年にかけて発行された号で、紙面の編成は今と少し違っているが、A4の4ページは変わらず、現在よりは短めの記事が多く載っており、記事を書いていただいた人が多かったのだろう▲そこにはすでに亡くなられた神父様や、当 時主任司祭を務められていた今の引退された神父様、現在教区の中心で活躍されている神父様方の助任時代の若かりし頃のお顔や、お言葉、また教会でよくお見掛けする方や、役員をされている信徒の方の当時の様子がうかがえ、昔の浦上教会を知らない私には興味深く読むことができた▲さて今年度残る主な行事は黙想会と17年ぶりの浦上小教区出身司祭の誕生である。青田憲司新神父神を与えてくださった神様に感謝し、小教区を挙げてお祈りしよう。