2020
インターネット版
あなたたちもぶどう園に
行きなさい
(マタイ20・4)
 発行所 カトリック浦上教会
 評議会 広報委員会
 メールアドレス
 uracathe@hkg.odn.ne.jp
 
目次
敬老の日に寄せて
被爆者代表 深堀繁美さん「平和への誓い」
被爆75周年の祈り
評議会だより
ロザリオの月各地区割当表
今月の典礼担当地区

クララ祭に寄せて
浦上四番崩れ
今月の聖人
浦上街道
赤鉛筆

助任司祭 ガブリエル 尾髙 修一
8月9日 長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典
原爆犠牲者追悼と平和祈願ミサ
行事などのお知らせ、「旅の日」変更等
10月「ロザリオの月」に聖堂で行います
9月と10月の典礼当番
大橋地区 森内 浩二郎さん
「旅」の始まりから150年特集(20)
家族で霊名の日を祝いましょう
司祭への道のり「助任時代」(27)
編集後記
敬老の日に寄せて
助任司祭 ガブリエル 尾髙 修一
 「老いていくことは、時として切なく悲しい。人から大切なものを奪うこともある。でも、大切なものを失うからこそ、年を重ねることに、人は謙虚に真摯に生きられるのかもしれない。それが老いの悲しみの中にある希望なのだと、私は思いたい。老いは魂の成熟であるのだと信じたい。」
 これは、あるテレビドラマのナレーションのセリフです。含蓄のある深い言葉だと思いますが、皆さんの心にはどのように響くでしょうか。
 ドラマの中では、入院した孤独な老人の姿が描かれています。訪ねてくる人もなく、入居者ともそりが合わないこの老人は、ついイライラが募り、担当の看護師にさえきつく当たってしまいます。やがてこの看護師は辞めていくのですが、一つの俳句を老人に残しました。そこには、「ありがとう 怒鳴り声にも 見える愛」と、したためられていました。姿を消した看護師を思い、老人は涙を流しました。
 いつも老人に怒鳴られていた看護師は、いい気持ではなかったでしょうが、そこに込められた愛情を感じ感謝を表しました。また、わがままに振る舞い、なかなか素直になれないこの老人も、本当は、かかわって欲しい、つながっていたい、そう望んでいたのだと思います。人とのかかわりや心を通わせることの大切さを再認識し、謙虚に生きること、真摯に生きることを肝に銘じておきたいと思います。
 さて、今年も敬老の日を迎えます。コロナ禍にあって、敬老会祝賀会は中止となりましたが、この紙面をお借りして、さまざまな人生ドラマを積み重ね、体験してこられた人生の先輩方にお祝いを申し上げたいと思います。これからもますます健康に恵まれ、神様の祝福に満たされますように。
 年を重ねていけば、多くの人は体力が落ち、体のどこかが故障してしまいます。自分で身の回りのことができなくなり、誰かの助けを借りなくてはならない時が来るかもしれません。「自分はまだやれる。人の手は借りたくない。」そう思って、体が動く間はいいかもしれませんが、意地を張らず、素直になることも必要なのかもしれません。
 また、年配の方々とかかわる人に、聖書はこう教えています。「老人を叱ってはなりません。むしろ、自分の父親と思って諭しなさい。年老いた婦人は母親と思い諭しなさい。」(テモテへの手紙一 五・一~二参照)神の家族としてかかわっていけたらいいですね。
 最後に、現在コロナ禍にあって、病院や施設での面会ができない状態が続いています。入院あるいは入所しておられる方々とのつながりを絶やさぬよう努力しつつ、神様の祝福をお祈りいたします。
2020年8月9日
長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典
被爆者代表 深堀繁美さん「平和への誓い」

  浦上の中高生が折鶴で制作した「愛と平和」

 原爆が投下された1945年、旧制中学3年生だった私は、神父になるため親元を離れ、大浦天主堂の隣にあった羅典(らてん)神学校で生活をしていました。中学校の授業はなく、勤労学生として飽の浦町の三菱長崎造船所で働く毎日でした。
 8月9日、仲間とともに工場で作業をしていた時、突然強い光が見え、大きな音が聞こえました。近くに爆弾が落ちたと思い、とっさに床に伏せましたが、天井から割れた瓦が落ちてきたので、工場内にあるトンネルに逃げ込みました。夕方になり、トンネルを出て神学校に帰りました。夜遅くには浦上で働いていた5人の先輩が帰ってきましたが、一日もたたずに全員が亡くなりました。
 翌10日の昼には、浦上の実家へ戻ることを許されたので、歩いて帰ることにしました。途中には、車輪だけとなった電車や白骨が転がっており、川には真っ黒になった人が折り重なっていました。生きているのか死んでいるのかもわかりません。時々「水・・・、水・・・」という声が聞こえますが、助けることはできません。浦上天主堂は大きく崩れ、その裏手にあった実家も爆風で壊れていました。父は防空壕の中の兵器工場で働いていたので助かりましたが、姉2人と弟と妹は亡くなっていました。しかし、たくさんの死体を見てきたためか、不思議と涙も出ません。今思えば、普通の精神状態ではなかったのだと思います。
 町には亡くなった人を焼くにおいが、しばらく立ち込めていました。何のけがもない人が次々に亡くなってい
く現実を目の当たりにすると、次は自分が死んでしまうのではないかという恐怖感が、なかなか振り払えなかったことを覚えています。このような思いは、もう二度とどこの誰にもしてほしくないと思います。
 昨年11月、「平和の使者」として、フランシスコ教皇が長崎を訪問されました。最初の訪問地、爆心地公園に足を運んだ教皇とともに原爆犠牲者に献花した、あの時の場面が蘇ります。そして、39年前に広島でヨハネ・パウロ二世教皇の「戦争は人間のしわざです」との印象深い言葉を、より具体化し、核兵器廃絶に踏み込んだフランシスコ教皇の言葉に、どんなにか勇気づけられたことでしょう。さらに、「長崎は核攻撃が人道上も環境上も破滅的な結末をもたらすことの証人である町」とし、まさに私たち長崎の被爆者の使命の大きさを感じる言葉をいただきました。
 また、「平和な世界を実現するには、すべての人の参加が必要」との教皇の呼びかけに呼応し、一人でも多くの皆さんがつながってくれることを願ってやみません。特に若い人たちには、この平和のバトンをしっかりと受け取り、走り続けていただくことをお願いしたいと思います。
 私は89歳を過ぎました。被爆者には、もう限られた時間しかありません。今年、被爆から75年が経過し、被爆者が一人また一人といなくなる中にあって、私は、「核兵器はなくさなければならない」との教皇のメッセージを糧に、「長崎を最後の被爆地に」との思いを訴え続けていくことを決意し、「平和への誓い」といたします。

       2020年(令和2年)8月9日
被爆75周年の祈り
原爆犠牲者追悼ミサ
            午前6時00分

 8月9日午前6時00分、原爆犠牲者追悼ミサの中で、宮原助任神父様は「原爆は全てを一瞬で焼き尽くしたと言われています。一方で焼き尽くされなかったものは燃え続けました。あまりにも無残な状況で、言葉で言い表すことのできない状況でした。犠牲となって亡くなられた方々のことを、今日改めて心に留め、兄弟姉妹である彼等の永遠の安息を心から願います」と語られ、75年前の出来事を数名の方々から聞かせていただく機会があり、その中のひとりの信徒の方の話をされました。
 「その信徒の方のお姉さん二人は、一人は生きながらに体が燃えて亡くなられ、もう一人のお姉さんは一命をとりとめたが体中が燃えるような痛みの中を、三ツ山の家に帰り、床に伏したそうですがあまりの苦しい痛みが続いて耐え切れず『私をあの川に放り投げてくれ』と頼んだそうです。尚苦しんでいる姉に、父親がたずねたそうです。『マリア様は来たか』、姉は『まーだー』と答えたそうです。その後、苦しみながら『弟、妹たちの世
話を頼むと』と言い残してお姉さんはこの世を去ったそうです。75年前のこと、そして今、平和のために行動すること、彼等兄弟姉妹の思いを今日共にし、主のみもとに憩う永遠の安息を祈りましょう」と結ばれました。

       被爆死者合同慰霊祭
 昭和20年11月23日、浦上天主堂の廃墟の前で浦川和三郎司教司式の合同慰霊祭が行われた。
 生き残りの信者約600名が参列し、死者のミサが厳かに行われ、司教様は追悼説教の中で、 私たちの親、兄弟、夫、妻、子供、友人、みんな良い人たちが一発の原爆によって神に召されていきました。そして浦上はこのような焼野原になりました。明治6年に「旅」から帰って来た時は、「あばら家」でしたが、浦上に家が残っていました。が、今は一軒の家もありません。……この追悼説教に参列者全員声をあげて泣いた。
 またミサ後、永井隆博士は原子病の体にボロ服をまとい、声涙あふれる弔辞を読みあげられ、参列者一同は慟哭(どうこく)した。
            神の家族400年より
平和祈願祭ミサ
          午前11時02分

 長崎への原爆投下から75年目の8月9日午前11時02分。浦上教会では原爆で犠牲となられた方々の永遠の安息を願い静かに一分間の黙祷を捧げ、久志主任神父様司式で平和祈願ミサが執り行われました。
 ミサの初めに、被爆当初から昨年のフランシスコ教皇様来崎までを収録したDVD「祈りの夏」が上映され、私たちの信仰の原点を再確認しました。
久志主任神父様は説教の中で、被爆者で晩年は原爆の語り部として平和を訴えた、片岡ツヨさんの証言から紙芝居となった『生きていてよかった』について熱く語られました。
 「片岡ツヨさんは24歳の時爆心地から1.4キロにある三菱の工場で被爆されました。ヨハネ・パウロ二世教皇様が平和の巡礼者として、広島と長崎を訪問され平和アピール『戦争は人間のしわざです。過去を振り返ることは未来に対する責任です』と言う言葉に感動し、被爆者が潜んでいてはいけない。その使命として核兵器反
対の運動を被爆者が訴えなければいけないと決意されました。私のような者でも少しでも平和の為にお役に立つことができればと思い、晩年は生きていてよかったという心からの思いで、その顔も語ることも隠すこともなく原爆の生き証人として、平和の尊さを訴えられました。93歳で亡くなられた彼女の生涯は、聖書にある『平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる』この言葉がそのままあてはまるようです」と。
 片岡ツヨさんは最後に「核兵器廃絶に立上がり、真の平和を得ることを願い乍ら、修学旅行生の前に立ち精一杯の核廃絶への思いを述べることが私の運動です。再びこの地上に原爆があってはなりません。いかなる国の人であれ原爆の苦しみを味わって欲しくない。どうか一人でも多くの方の世界平和へのお祈りをお願い申し上げます」と結ばれています。
 原爆が落とされて75年。原爆を体験した人が一人また一人と私たちのもとから去って行かれる現実の中で私たちはどのように振る舞っていけばよいのかを問いかけられています。
平和祈願ミサ
          午後6時30分

 被爆75年目となる8月9日(日)午後6時30分、浦上小教区主催の平和祈願ミサが行われた。例年はミサとたいまつ行列が教区主催で開催されていたが、今年は新型コロナウイルス対策のため小教区ごとにささげられた。
 被爆マリア像と被爆十字架の入堂に続き、教会学校の中学、高校生が折鶴で作った作品「愛と平和」が祭壇に奉納された。またミサの前には教会学校の小学生が朗読する紙芝居「片岡ツヨさん 生きていてよかった」と、DVD「祈りの夏」が上映された。
 ミサは髙見大司教様の主司式のもと、中村倫明補佐司教様、浦上教会神父様方との共同司式で執り行われ、駐日教皇庁大使館の参事官トゥミル神父様も参加された。
評議会だより
  「旅の日」、毎月11日に変更します
 
 浦上四番崩れの後、全国に流配され「旅」と表した先祖の人たちの遺徳を称える「旅の始まり150周年」を浦上教会では2018年7月に行ない、その思いを受け継ぐことを目的に、毎月20日を「旅の日」と制定。
 20日は、かつての宣教師の記録や浦川和三郎司教の書籍をもとに設定。この度、髙見大司教が被爆75周年記念誌発行で、専門家たちの意見や著書を参考に、旅の始まりが1868年7月11日に統一されました。
 今後は「旅の日」を11日とし、お詫びと訂正をさせていただきます。9月11日から、これまで通りミサ前の5時30分からロザリオを唱えます。
【9月】

(4日)初金ミサ(女性部担当地区:辻1、2)
         10時       <本部> 
    十字架の道行 19時      <本部>
(6日)2学期始業ミサ・始業式
          7時30分      <信教>
    評議会  19時        <本部>
(8日)小学生勉強始まり
(10日)恵みの丘原爆ホーム、別館、ときわ荘訪問
         11時 カトリックセンター集合
                   <エリ>
(11日)旅の日記念ロザリオ
          5時30分      <典礼>
(12日)中学生勉強始まり
(13日)十字架山殉教祭 14時 
           (設営13時~) <本部>
    病院見舞い(恵の丘)13時   <ビン>
(14日)十字架称賛 6時        <典礼>
(20日)敬老者、病気療養者のためのミサ
    病者の塗油の秘跡
          9時30分      <本部>
    敬老会【中止】
(26日)秋の遠足【中止】
(27日)聖ビ・ア・パウロの祝日
     SSVP会員・家族のためのミサ
          6時        <ビン>
    世界難民移住移動者の日献金
          各ミサ      <典礼>
    尾髙助任神父様霊名のお祝い
     (聖ガブリエル)祝日9月29日
          9時30分      <信使>
    聖トマス西と15殉教者ミサ
         14時 中町教会   <教区>
「すべてのいのちを守るため月間」

 9月6日(日)は、「被造物を大切にする世界祈願日」ですが、日本の司教団は、教皇フランシスコの訪日に応えて、毎年9月1日から10月4日を「すべてのいのちを守るための月間」と定め、今年から実施することにしました。
 近年の地球環境問題に加え、今、新型コロナウイルスの感染防止のため、「すべてのいのちを守るため」にすべての人が闘っています。私たちができることで関わりながら、司教団の意向に合わせて、「すべてのいのちを守るためのキリスト信者の祈り」を唱えることにします。
 ミサ前に唱えている「教区シノドスの実りを願う祈り」に代えてこの期間、一緒に祈りましょう。
 教会入口で祈りのカードを各自お取りください。
【10月】

ロザリオの月 ロザリオの祈り
     (毎週月曜~金曜)19時 
     ※第1金曜日のみ十字架の道行
                   <典礼>
(2日)初金ミサ(女性部担当地区:石神1、2)
         10時        <本部>
    十字架の道行 19時      <本部>
(4日)評議会 19時         <本部>
    聖ペトロ使徒座への献金    <典礼>
(11日)旅の日記念ロザリオ
         5時30分       <典礼>
    叙階式 15時         <教区>
(12日)司祭の日ミサ
        10時30分       <教区>
(18日)世界宣教の日献金
         各ミサ       <典礼>

 ※ 行事は変更、中止される場合があります。
     被爆75周年記念小冊子
「きょうも鳴り響く平和の鐘」
 ~被爆マリアと被爆十字架のメッセージ~

 被爆75周年を記念して髙見大司教様が編集したこの小冊子が9月に発行されます。
 内容は浦上教会の歴史から始まっており、浦上教会のかけがえのない、大切な遺品、平和の鐘、被爆マリア像、被爆十字架の3ついても触れた内容はとても価値ある資料です。
 このたび各家庭に1冊を配布することにしました。地区ごとに配布し、また個人の方は司祭館で受け取りください。 個人でさらに追加購入ご希望の方へは、1冊500円で販売いたします。
       2020年 ロザリオ月(10月)の各地区割当表

     ※毎週月曜日から金曜日まで、午後7時より本聖堂にてロザリオの祈り
     ※ただし第一金曜日は、午後7時より十字架の道行き
(意向):
 新型コロナウイルス感染をはじめ、さまざまな病気で苦しみと不安に陥(おちい)っている人々があらゆる危険から解放され、苦しみをやわらげてくださいますように。また被爆75年を迎え、私たち一人ひとりが平和を願い、平和の証(あか)し人になりますよう、聖母マリアの取り次ぎによって祈りましょう。
担当地区 担当地区 担当地区 担当地区
1日
(木)
全地区 9日
(金)
石神1
石神2
辻 2
19日
(月)
大 橋
昭 和
橋 口
27日
(火)
本尾1
本尾2
2日
(金)
全地区
十字架の
道行き
12日
(月)
辻 1
大 手
女の都
20日
(火)
上野1
上野2
28日
(水)
江平1
江平2
江平3
5日
(月)
大 橋
昭 和
橋 口
13日
(火)
本尾1
本尾2
21日
(水)
高尾A
高尾B
29日
(木)
坂本1
坂本2
平 野
6日
(火)
上野1
上野2
14日
(水)
江平1
江平2
江平3
22日
(木)
本 原
30日
(金)
平 和

小 峰
7日
(水)
高尾A
高尾B
15日
(木)
坂本1
坂本2
平 野
23日
(金)
石神1
石神2
辻 2
    
8日
(木)
本 原
16日
(金)
平 和

小 峰
26日
(月)
辻 1
大 手
女の都
    
      ※割り当てに関係なく都合のつく日に参加してください。
      ※ロザリオも十字架の道行きも、本聖堂で行います。
      ※できるだけ間隔を空けてお座りください。
 今月の典礼担当地区
《9月》

6日[日] 年間第22主日     坂本1・平野
        被造物を大切にする世界祈願日
13日[日] 年間第24主日         坂本2
14日[月] 十字架称賛
20日[日] 年間第25主日          平和
27日[日] 年間第26主日        岡・小峰
       世界難民移住移動者の日献金
《10月》

4日[日] 年間第27主日          大橋
      聖ペトロ使徒座への献金
11日[日] 年間第28主日         昭和
18日[日] 年間第29主日         橋口
      世界宣教の日献金
25日[日] 年間第30主日        上野1
クララ祭に寄せて
 森内 浩二郎(大橋)

  8月11日(火)午後6時30分より大橋町東部公民館にて久志主任神父様司式によりクララ祭が開催されました。式には3名の神父様方と1名の助祭様の他に、お告げのマリア修道会のシスター方や一般信徒等約40名の参加がありました。
 久志神父様は挨拶の中で「今年はコロナ禍で教会行事の中止が相次ぐ中、クララ祭を開催できたことに感謝したい」と述べられました。また葛島神父様は説教で聖クララについて、貴族の出身で親に反対されても聖フランシスコの生き方に感銘を受けて共に同じ道を歩みながら修道会を創設したことを説明されました。

        Googleマップより
 浦川和三郎司教様の「浦上切支丹史」に掲載の一文です。
8月24日、家野郷川上のカララ照とマリナお何の二婦人が朝早くから天主堂に来て、ミサ聖祭に与り、プティジャン師に近づいて、「川上の守護の祝日にお出で下さいませんか。第一の守護のカララ様の祝日は過ぎましたから、せめて聖テカラ様(聖テクラと思われる。祝日は9月23日)の御祝にでも」とせがんだ。
 これで155年前の潜伏時代でも大橋地区の信徒が聖クララを守護者として大切にしていたことが分かります。今年は先祖から引き継いで417年目の祝日でした。

     サンタ・クララ教会跡碑
浦上四番崩れ
「旅」の始まりから150年特集(20)
 「備前(岡山)」
    に行った人たち②

 毎日過酷な労働の中で、6日に一度の休みには男女を問わず神官の説教を聞かされ、役人からは改宗を強要され、応じない者はやはり梅の木に吊るされ滅多打ちにされ、それでも応じない者はみみずばれに腫上った体に水をかけられ、すると縛った縄は体に喰い込み、耐え難い苦痛のため改心する者もいましたが多くは耐え忍びました。
 1871年、楠本正隆の巡視後は苦役が軽減されました。役人の藤原という人は、一同の境遇に同情し慰めてくれました。守山麓という医師は、不改心者の迫害が軽減されるように働いてくれました。
 1873年4月、不改心者への釈放令が下り、陸行して5月15日に浦上に着きました。

◎「鶴島巡礼」
 岡山教会では毎年10月の体育の日に、岡山教会から鶴島までの40㎞を徒歩で巡礼し、浦上信徒の殉教者墓地でミサが行われている。
◎「岡山市内巡礼」
 毎年2月5日、日本26聖人殉教者祝日前の土曜日、浦上流配者の上陸地、市内三か所の収容所跡など、岡山南教会から岡山教会までの徒歩巡礼が行われている。
 「播摩(姫路)」
    に行った人たち

 姫路預けは西山、立山、淵村の人たちで総員45名でした。筑前藩の船で鞆(とも)に送られ、滞留10日後飾磨を経由して姫路に着きました。収容所は本丸下の廃寺で、待遇は左程悪くなく、食物は飯盆(はんご)に入った飯と梅干し、十分でなかったが内職が許され、それの金で不足分を購入できました。改宗の説得は別段責苦を受けることはありませんでした。
 半年ばかりを経って、野里村の久寿庵という廃寺に移されました。説得は行われていましたが、一同は改心しなかったため、役人はこの近くの儒者で諸葛(しょかつ)という人に説得を依頼しました。諸葛は神道には触れず、一同の功利心を巧みに捉え、郷里への帰心をあおる説得を行ったため、最初に説得された男子5・6名が改心を申し立て、その後次々と改心してしまいました。しかし、外出と日雇稼ぎが許されるだけで、他は変わりありませんでした。
 最後まで踏ん張ったのは西山のツル、熊次郎、マツ、立山の伝道婦浦川ノイの4名でした。1873年に放免されるまで信仰を守りとおしました。
家族で霊名の日を祝いましょう
<今月の聖人>
 9月 September

  3日 聖グレゴリオ一世教皇教会博士
  8日 聖マリアの誕生
 10日 日本205福者殉教者
 16日 聖コルネリオ教皇、
     聖チプリアノ司教殉教者
 21日 聖マタイ使徒福音記者
 23日 聖ピオ(ピエトレルチーナ)司祭
 28日 聖トマス西と15殉教者
 29日 聖ミカエル、聖ガブリエル、
     聖ラファエル大天使
 30日 聖ヒエロニモ司祭教会博士
 10月 October

  1日 聖テレジア(幼いイエスの)おとめ教会博士
 15日 聖テレジア(イエスの)おとめ教会博士
 17日 聖イグナチオ(アンチオケ)司教殉教者
 28日 聖シモン 聖ユダ使徒
 浦 上 街 道

             久志 利津男
司祭への道のり

     「助任時代」(27)

 主任として初めて赴任する教会。三ツ山教会の予定が一日で諫早教会に変更したにしても改めて、人と人との「縁」を思い巡らしています。
 当時、諫早教会の主任であった田中千代吉神父様とはその1年前までは佐世保地区で大変お世話になっていました。神父様が黒島教会、私は地区長がいる三浦町教会。神父様は体調があまり優れず、病院通い、時には入院をされていましたので何回かお手伝いに行ったことがあります。今でも忘れませんが、初めて黒島教会の司祭館に泊まる際、近くに人の気配もなく、その日に限って風で木がひしめく音で居てもたってもいられず、松崎商店だったと思うのですが、クルシリオで活躍され存じ上
げていましたのでこの夜、しばしお世話になりました。
 実は田中神父様は私にとり、大恩人でもあります。古里・仲知教会に神父様は1956年(昭和31)に着任し、1961年(昭和36)までの5年間、第10代主任司祭として司牧されています。私は1958年8月14日に生まれたのですが、洗礼台帳で確認したところ、その4日後にこの神父様によって洗礼を授かっています。佐世保での5年間、私の出生時の主任、そして今回の病気ゆえの入れ替わり。まさに「縁」です。
 田中神父様のあの笑顔が印象的でした。「『させ』と『させ』はどちらが本当?」の問いに、私が「ほぼ同じ」と答えたところ、歯茎をむき出しての大笑がしばらく止まらなかったあの情景が昨日のようです。
 カトリック信者なら、だれでも持っている「洗礼名」または「霊名」のことであるが、その多くが諸聖人や天使の名前からつけられ、その人たちの記念日をお祝いする。「洗礼名」のつけ方は、幼児洗礼ではその名に決めた理由など、父や母または代父や代母から本人が物事がわかるようになってから聞かされることになる。成人洗礼では本人の意思によるか周囲の人たちからのアドバイスにより決めることになる。「洗礼名」はその人の信仰生活の支えにもなり、生き方にも大きな影響を与えるので大切にされている▲今、私たちは、信徒の大人から子供たちまで、熱心にご指導をいただいている神父様に感 謝の心を込めて、尾髙助任神父様の「霊名」である「聖ガブリエル」の記念日9月29日にむけてお祈りをし、9月27日の主日のミサで、霊的花束を渡すことにしている。神父様の「霊名」は、乙女マリアに受胎告知をしたことで知られている、あの大天使ガブリエルである。また、天上と地上・神と人間との橋渡し役の天使ともいわれている▲おそらく、神父様は幼児洗礼と思われるが、どのようにして、「霊名」を大天使ガブリエルから頂かれたのか。霊的花束(お祈り)の贈呈の日には、是非、神父様本人からお聞きしたいものだと思う。