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目次
2020年を振り返る
「原爆遺物展示室」装いも新たにオープン
司教座聖堂献堂記念ミサ
フランシスコ教皇訪日1周年記念感謝ミサ
ベアトス様殉教祭
聖職者追悼ミサ
永久聖体礼拝
評議会だより
今月の典礼担当地区
教会学校
クリスマス「馬小屋作り」
教会境内清掃
「すみれ聖歌隊」解散
瑞宝単光章受章
浦上四番崩れ
今月の聖人
浦上街道
赤鉛筆 |
主任司祭 ペトロ 久志 利津男
原爆資料室が「原爆遺物展示室」
と新たな名称とともに整備
1959(昭和34)年11月1日諸聖人の祭日から61回目
王であるキリストの22日と一周年の24日
殉教地でコロナ禍の中、三密を避けて行われた
浦上教会と赤城聖職者墓地にて
長崎教区伝統「王であるキリストの祭日」に当番
行事などのお知らせ
12月と1月の典礼当番
死者の月の赤城墓地墓参、イルミネーション点灯式
お父さんたちが制作
クリスマスをまえにして
感謝・追悼ミサ
水浦 ヨシ子さん(上野1地区)
「旅」の始まりから150年特集(23)
家族で霊名の日を祝いましょう
司祭としての道のり「主任時代」(2)
編集後記 |
2020年を振り返る
主任司祭 ペトロ 久志 利津男
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昨年の今頃は、フランシスコ教皇様の来日・来崎を受けて感動と感謝、そして今後の多くの実りを願って過ごしていたことが思い出されます。あれから1年、このような状況になろうとは予想だにしなかった上に、生活様式・信仰様式の変わり様には驚きの域を超えています。かつては、「教会に来るように」「祈りは大きな声で」と半強制的な表現でもありました。ところが「日曜のミサは中止です」「聖歌は歌いません」「席は十分に空けてください」とその言い回しが変わったのです。今般のパンデミック(ある感染症の世界的流行)で様々な問題と課題が突きつけられました。
教区内では会計のこと、人権のことがマスコミで取り上げられ、信徒の皆さんに多大なご心配とご迷惑をおかけしました。当然にあってはならない出来事を隠蔽しようとか摩り替えようとする意図は全くないとはいえ、対処や報告の仕方、謝罪と補填のあり方に対して多くの反省すべき点があったことは否めません。私たち教会共同体は信仰によって繋がっていますので、その基盤となる信頼・信用の回復を目指すべく、神と信徒の仲介者である私たち司祭の責務がどんなにか重要であることは言うまでもありません。「倍、数倍、十数倍の恩返し」で心していく必要があります。 時は刻々と過ぎ去っています。本来なら東京オリン |
ピックが行なわれた今年、日本は戦後75年を迎えました。それは同時に被爆75年でもあります。長崎市が「記録として残す」をテーマに掲げ、今般の情勢で計画通り事が進まなかったとはいえ、「継承」の精神を重く受け止めた価値ある節目の機会であったことは確かです。
この「記録として残す」を胸に具体的な出来事として、浦上教会では、信徒会館にある原爆遺物展示室を装いも新たに整えました。1990年(平成2)信徒発見125周年を記念に今の信徒会館が建てられ、同時に展示室も新設されました。あれから30年、ショーケースの傷みや遺物の整理が急を要した状況を受けての整備となったのですが、大事なことは折々に、過去の出来事を髣髴させる品々(遺品)に私たちの心を吹き込む機会が必要だということです。願わくは、ここを訪れる方々が過去と現在、そして未来の架け橋となりますように。
今般の情勢は改めて人との繋がりの在り様とその重要性を知らしめました。失うものはありましたが得るものも多くあったのではないでしょうか!
あってはならない教区のスキャンダル、厳しい言葉もそうですが、励ましと「大丈夫、私たちが付いていますから」と心強い言葉を頂きました。 |
「原爆遺物展示室」
装いも新たにオープン |
浦上教会信徒会館ロビーにある原爆資料室がこの度「原爆遺物展示室」と新たな名称とともに整備され、教区司教座教会献堂の11月1日(日)記念ミサに先立ち、祝福式が18時から髙見大司教司式で行なわれた。
現在の信徒会館は1990(平成2)年、信徒発見125周年記念として建設、その一角にこの展示場を設けた。設置から30年、展示ケースはだいぶ傷み、被爆当時の写真も色あせ、展示概要説明(日・英・韓)や陳列の工夫など来館者への効果的観覧のために、今年被爆75年に当り、リニューアルとなった。
さらには、長崎市の今年を「記録として残す」というテーマに合わせ、今回の整備で過去の出来事(記録)が遺物の形で残っていることを再認識するとともに、浦上の信徒にあって是非に注目してもらいたいとの願いも込めている。
●祝福式の模様と展示 特徴①
18時のアンゼラスの鐘を合図に子供聖歌隊による聖歌で幕を開けた。中央のロゴマークを挟んで「浦上教会信徒会館 原爆遺物展示室」と英語・韓国語を交えて記されている開館入口前で大司教らがテープカット、展示室内に移り、聖書朗読と説教、そして灌水へと続き、報道関係者ら多くの方々が参集した祝福式は無事に終了した。
今回、リニューアルされた主な内容では、パネルで教会の歴史と原爆前後の写真、教会境内地内の歴史的遺産を紹介。またこれまで展示していた聖具等は工夫整理され、残された破片等から、特定できるものについては解説板にその名称を示し、聖体顕示器を立てて展示、本来の形がわかるようにしている。
特に注目は磔刑像(十字架)を当初の姿に近づけた展示。旧浦上天主堂の正面入口上部にも、今と同じく《磔刑像》、《悲しみの聖母》と《使徒聖ヨハネ》がレリーフ状に設置している。この3像は、天主堂の設計者フレノー神父自らが彫ったと伝えられている。ほぼ無傷であった《悲しみの聖母》、《使徒聖ヨハネ》は、天主堂再建後に元の場所に戻されたが、《磔刑像》は損傷が著しく、キリスト像を十字架から切り離し、資料室にて保管していた。今回のリニューアルでは、キリスト像を鋼鉄製の十字架に固定し、可能な限り、当初の姿に近づけて展示している。
●部屋の作りに注目 特徴②
磔刑像・小鐘・石像頭部等が置かれた部屋(ロビーの西側)の懸垂幕も工夫。ここでは、外光から遺品を守るとともに、部屋の存在を一般の方々にも気付いてもらうよう、1945年10月に撮影された旧浦上天主堂の被爆遺構の写真を大きく引き伸ばして、ガラス一面を懸垂幕として覆っている。
大きな写真に包まれた空間では、被爆の傷跡が痛ましい中にあって人々が懸命に生きようとする往時の浦上の地に立つかのような感覚となる。
●新たな展示物 特徴③
信徒に呼びかけ、家庭で大切に守られてきた被爆遺物の聖母マリア像等を新たに展示。
また、司祭館で保管してきた、《天使像》(石造)も展示。アメリカの海軍に所属していたレイモンド・ギャラガー氏の兄弟ジョン・ギャラガー氏が、1945年9月に長崎に進駐した際に浦上天主堂の遺構の中から拾ったもの。
これは、長崎に原爆を投下したB29爆撃機ボックス・カーの乗員のひとりであったレイモンド氏が、「私なりの平和の意思表示」としてジョン・オマリー司祭に託し、1985年9月4日に浦上教会に返還されたもの。
●展示の時間
展示の公開は、翌日2日から行なわれ、この話を聞きつけた多くの方々がリニューアルされた展示の品を見入っていた。
木曜が定休日。10時から16時(日曜・祝日は15時)まで開館。同時に売店「ピエタ」も営業している。 |
リニューアルオープンのテープカット
髙見大司教様により祝福
信徒会館・原爆遺物展示室 正面玄関
聖体顕示器(オステンソリウム)
十字架上のキリスト
旧天主堂の被爆遺構写真を引き伸ばした懸垂幕
返還された《天使像》 |
61回目の司教座聖堂献堂記念ミサ |
11月1日(日)61回目の献堂記念日を迎えて、長崎教区は浦上教会の司教座聖堂の献堂を記念するミサを執り行った。この日はリニューアルオープンとなった、浦上教会原爆遺物展示室の開館セレモニーに引き続き行われ、髙見大司教様の主司式のもと中村司教様と8人の司祭により共同でささげられた。
大司教様は説教で「祈りの家である教会はすべて、祝福され、献堂された大切なものです。なかでも司教座聖堂は教区の中心として司教を介して、全世界の司教、ローマの教皇様に繋がっています。」と述べられた。
最後に浦上の歴史に触れ、この浦上教会が先人たちの苦労と信仰の結晶の証であることに思いを馳せ、私たち |
がいつも静かに祈ることができるお恵みに感謝をしたいと語られた。 |
教皇来日・来崎から一年 |
◆11月22日(日) 「王であるキリスト」の祭日
フランシスコ教皇様の長崎での祈りから丁度1年となる11月24日を前に、長崎教区では22日に小教区ごとに記念のミサを行うことを受け、浦上教会でも感謝のミサが行われました。
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ミサに先立って、教皇訪日時の様子を記録した映像が流され、参加者は昨年の思い出を振り返りながら新たな感激に浸っていました。感謝のミサで高見大司教様は、教皇様が当日に着用されたカズラ(祭服)を身につけて司式し、教皇様から長崎教区に贈られたカリスとパテナを祝福されました。
大司教様は、「教皇様のすべてのいのちを守るためとのメッセージいつも忘れず日々の信仰生活を過ごしましょう」と呼びかけられました。
◆11月24日(火)
11月24日 14時30分、教皇様が長崎でミサを行われた、同日、同時間に中村倫明補佐司教様の司式でミサが執り行われました。
中村司教様は「1年前、私たちは教皇様来崎で多くのお恵みをいただきました。でもいただくだけで、私たちはいったい何をしてきたのだろうかと思うばかりです。しかし、主は共にいてくださいます。私たちには何かができるはずです。前に進みましょう」と力強く語られました。 |
ベアトス様殉教祭
コロナ禍の中、三密を避けて行われた |
今年もまた殉教祭がやって参りました。11月3日(火)、殉教の地・橋口町(塔の尾)にて、北風が吹く肌寒い中、浦上の信徒30名余りが参列し、尾髙神父様の主司式のもと、三人の神父様によりミサが捧げられました。
今年は新型コロナウイルス感染症拡大を受けて、三密を避けるために、教会役員、橋口町信者会を中心に参列者が絞られました。
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350年程前の禁教時代、ある年の秋、敬虔なるキリシタン信者、本原郷小峰の百姓ジワンノ一家は背教しなかったため、役人に捕らえられ、火あぶりの刑に処せられたのがこの場所です。
尾髙神父様はミサの中で、「ジワンノ一家は貧しくても強い信仰と徳を持ち、村人の尊敬と信頼を一身に集めていました。『ドチリナ・キリシタン』の中に十四の慈悲の所作があります。『色身(肉体)にあたる七つの事』では、一には、飢えたる者に食を与うる事、二には、渇したる人に飲み物を与うる事、等。『スピリツ(精神)にあたる七つの事』では、一には、人に良き意見を加うる事、二には、無知なる者に道を示しうる事、等の所作がありますが、この一家はこれを忠実に守って実践していたものと思われます。我々もこの一家に倣って生きていくべきです。」と説かれました。
ここは、浦上で唯一の殉教の地。私たちは死をもって信仰を守りぬいたベアトス様を末永く後世に語り継いでいきたいと思います。
(橋口町信者会 記) |
聖職者追悼ミサ |
毎年、11月に開催の「浦上教会聖職者の集い」は、昨年は教皇フランシスコ来崎が理由で、今年は今般の情勢で止む無く中止となった。
この集いの翌日には出身の有志の司祭が主となって「聖職者追悼ミサ」が行われているが、聖職者の集いに関係なく今年も朝6時に司祭・修道者・信徒が多く参列し、亡き聖職者のために祈りをささげた。
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11月10日(火)このミサの司式を担当した湯浅俊治神父様を初め8人の出身司祭と当教会の主任・助任司祭が加わり、特にまもなく司祭叙階70年(プラチナ祝)を迎える間近の今年3月に亡くなった原塚正人神父様を偲ぶ機会となった。
なお、この死者の月、赤城の聖職者墓地での追悼ミサも同じ日の10時から市内の司祭団が集まって、髙見大司教様司式で行なわれた。 |
永久聖体礼拝
長崎教区のよき伝統、「王であるキリストの祭日」に当番 |
長崎教区のよき伝統として行なわれている「永久聖体礼拝」。毎日曜に教区の一つか二つの教会が輪番制で聖体を顕示して静かな時間をすごしているが、「教区民を代表してこの信心業を行なう」ことに大きな意義を持っている。
浦上教会は例年「王であるキリストの祭日」が担当日で、昨年は教皇来崎で開催されなかった。今年は11月22日、9時30分のミサに続いて、地区やアクション団体毎で3グループに分かれ、担当司祭主導のもと、本聖堂祭壇中央に置かれた聖体を前にして聖なる時間を過ごした。
かつては丸一日、と今とは全く違う状況であっても多くの信者が参集していたが、年々参加者が少なくなって |
いる現状をどのように思い、対処していくか課題の一つでもある。 |
評議会だより |
【12月】
(4日)初金ミサ(女性部担当地区:大橋・昭和)
10時 (本部)
十字架の道行 19時 (本部)
(5日)堅信組筆記試験
17時30分 教会学校 (信教)
(6日)宣教地召命促進の日献金
各ミサ (教区)
評議会 19時 (本部)
(8日)無原罪の聖マリア:浦上教会守護の聖人
6時 (典礼)
(10日)出津マルコ園訪問
11時 カトリックセンター集合
(エリ)
(11日)旅の日記念ロザリオ
5時30分 (典礼)
(12日)クリスマス会
13~16時 信徒会館 (信教)
堅信組口頭試験
17時30分 教会学校 (信教)
(13日)2学期終業ミサ・終業式
17時30分 (信教)
釜ヶ崎ホームレスへ毛布・日用品発送
9時 信徒会館 (ビン)
(18日)ゆるしの秘跡 19時~
(19日)ゆるしの秘跡 9時~、13時~
(20日)隠退司祭団の訪問見舞い
13時 大司教館 (ビン)
(24日)主の降誕聖夜ミサ
17時、18時30分、21時 (典礼)
子供たちへお菓子のプレゼント
各ミサ (壮年・女性)
(25日)主の降誕祭日 ミサ:7時30分、9時30分
(典礼)
(24~25日)降誕祭を祝って
子供たちへお菓子のプレゼント
7時30分、9時30分ミサ (典礼)
(27日)聖家族 各ミサ (典礼)
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【1月】
(1日)神の母聖マリアの祝日
0時、7時30分、9時30分 (典礼)
新年のお祝い、成人のお祝い
9時30分 (信生)
(3日)主の公現 各ミサ (典礼)
(10日)主の洗礼 各ミサ (典礼)
堅信式 9時30分 (信教)
評議会 19時 (本部)
(11日)旅の日記念ロザリオ
5時30分 (典礼)
(17日)3学期始業ミサ・始業式
7時30分 (信教)
クリスマスうまや撤去
13時 (壮年)
(19日)教会学校小学生勉強始まり (信教)
(23日)教会学校中学生勉強始まり (信教)
(24日)世界子供助け合いの日 献金 各ミサ
(教区)
行事は変更・中止される場合があります。
地区集会休会のお知らせ
地区集会は年内開催が中止となっております。
詳細は各地区長さんへお尋ねください。
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今月の典礼担当地区 |
《12月》待降節・降誕節
6日[日] 待降節第2主日 石神1・辻2
宣教地召命促進の日献金
13日[日] 待降節第3主日 石神2
20日[日] 待降節第4主日 大手・女の都
24日[木] 主の降誕聖夜ミサ 本部
25日[金] 主の降誕 本部
27日[日] 聖家族 辻1 |
《1月》年間
1日[金] 神の母聖マリア 本部
世界平和の日
3日[日] 主の公現 本尾1
10日[日] 主の洗礼 本尾2
17日[日] 年間第2主日 江平1
24日[日] 年間第3主日 江平2
31日[日] 年間第4主日 江平3
世界こども助け合いの日献金 |
教会学校 |
死者の月 赤城墓地へ
土曜日の教会学校の行事で11月と言うと墓参は欠かせない。11月7日(土)当日は雨がシトシト。午前も午後も「小雨決行」の一声で傘の行列が揃って出発となった。
途中「おなかが痛い!」のハプニングもあったが、見守り係の協力で無事に済み、ホッと致しました。また歩きながら、十字架の印がないお墓が有る事を発見!など、子どもたちの気づきは素晴らしかった。
全員揃って赤城の「長崎大司教区 聖職者之墓」に着き、持参した軍手やゴミ袋は出番なしだったが、神父様の先唱のもと、30数名の児童、スタッフ、見守り係の信仰教育委員、保護者の方々と一緒に、今日の雨のように、しっとりとお祈りを捧げる事ができた。地面に落ちる雨に思いを寄せながら、とても心静かな時を味わえた。
その後、神父様から墓碑に刻まれた神父様方の紹介がなされ、8月9日に亡くなられた神父様の事を話されると、驚きの声も上がった。中には「近くにお墓があるよ」と話す子どもがいて、「11月は死者の月だから、家族みんなでお墓参りに行けるといいね」と話した。 |
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クリスマス・イルミネーション点灯式
11月28日(土)17時30分から、教会学校の子供達と父兄200人以上が集まり、みことばを聞き、イエス様を迎える聖歌をみんなで歌い準備を整える中、尾髙神父様のカウントダウンの合図でイルミネーションが点灯されました。
いよいよクリスマスです。皆で主のご降誕をお祝いしましょう。 |
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クリスマス「馬小屋作り」 |
お父さんたちが制作
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今年も馬小屋作りは壮年会が中心となって行なわれました。待降節第1主日となる11月29日(日)、開始の14時には壮年会のメンバーが集い、担当を振り分けて慣れた手作業で馬小屋が準備されました。
教会の規模からして広さ・高さがあり、作成には時間がかかるのですが、連係プレーが功を奏して2時間余りかけて今年も素晴らしい馬小屋が準備されました。
前日の夜にイルミネーションの点灯式が行なわれたこともあり、いよいよクリスマスに向けて整えられていきます。 |
教会境内清掃
クリスマスをまえにして |
11月8日(日)浦上教会の境内清掃および十字架山の清掃が行われました。
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各地区より有志の方々がお集まりいただき、多くの人員で8時30分より、地区ごとに担当場所を分けて行いました。みなさん鎌や、ほうきなどを使って汗を流してのご奉仕となりました。
あいにく前日に雨が降ったため、実施するかどうかを迷いましたが、当日は晴れとの予報が出ていたので予定どおり行うことにしました。少し地面が濡れていてやりにくかったのですがおかげさまで綺麗にすることができました。掃除をしながらお話をして、教会の歴史や、原爆の史跡が境内のさまざまな場所にあることを参加された方から教えていただくこともできました。
今回、多くの方々にさまざまな事でご協力いただき、本当にありがとうございました。 |
「すみれ聖歌隊」解散
感謝・追悼ミサ |
浦上教会で50年余の長きに亘り聖歌隊として奉仕を続けて来た、すみれ聖歌隊がこの度その活動を終えることになり、感謝と亡き隊員の方々の追悼ミサが11月23日(月)久志主任神父様司式のもと被爆マリア小聖堂で執り行われた。
すみれ聖歌隊は昭和の時代の奉仕隊に始まり、白百合聖歌隊を経て、平成20年に今の聖歌隊として再結成したが、昨今、隊員の高齢化と減少などから解散を余儀なくされ、11月21日(土)王であるキリストの前晩ミサの奉仕を最後にその活動を終了した。
説教の中で久志師は50年余の奉仕に感謝の意を述べ、改めて聖なる祭りであるミサの中での「聖歌」と「聖歌隊」の重要性を強調した上で、解散は残念であるが、今後、個人として聖歌奉仕の協力を願った。また共同祈願では、歌うことで信仰の喜びを伝える事ができたことや、後に続く若い人たちに聖歌隊参加の機運が高まるようにとの願いが捧げられた。 |
代表の田中伊三郎さんは50年余の活動を振り返り、「聖歌隊に参加することで得た絆を大切にし、これからの生活に活かしていきたい」との思いを語った。
ミサ後は教会学校で感謝の昼食会が行われ、思い出になるひと時となった。 |
瑞宝単光章受章
水浦 ヨシ子さん(上野1地区) |
11月、秋の叙勲者が発表され、
上野1地区の水浦ヨシ子さんが
瑞宝単光章を受章されました。 |
水浦さんは1963年から大浦保育園で保育士として勤務され、93年からは園長を務めていて、園児の成長が日々の喜びと話される。50年以上に亘り保育士としての活動に情熱を注ぎ続けられています。 |
浦上四番崩れ
「旅」の始まりから150年特集(23) |
「石州(津和野)」
に行った人たち③
津和野の殉教者の中で、最も残忍な責苦を受けたのは、甚三郎の弟で国太郎の4男、15歳の佑次郎でした。役人たちは、てこづっていた国太郎の子で、甚三郎の兄弟と知ると腹いせもあったんでしょう、佑次郎一人を御用に呼出しました。
佑次郎は親と兄や姉の影響を受けて信仰が厚く、どんなに責められても苛まれても、14日間微動とせず最後まで守りとおしました。
役人は14日間牢へ帰さず、毎日責めて責めて責め抜きました。ある日は丸太に縛り付けて路上に棄ておいたり、ある日は赤裸にして終日竹縁に座らせたり、両手を背に廻して大黒柱に縛り付けて鞭打ったり、鼻や耳を鞭で付きえぐったりと残虐な責めを行いました。13日目、役人は生傷だらけとなった佑次郎を寺の裏手へひきづり出して竹縁に座らせました。体を二重に曲げてぢっと堪えていましたが、14日目には全身青く腫れあがり危篤状態になりました。役人はうろたえて姉のマツに引渡しました。翌朝佑次郎は冷たい牢獄でマツに見守られて息を引取りました。 |
佑次郎がマツに遺したことば
「私はもうこれで終わりでしょう。天国へ昇ったらきっと皆さんのために祈ります。信仰を捨てずに終わりまで辛抱しなさい。姉さんたちは天主様の御摂理で、この監獄を出る様になるかも分からぬ。その時はよく人に教えてやってください。子どもを泣かしてはなりませんよ。子供には罪がない。かえって大人は罪があるから償いをせねばならぬのです。」
(『旅』の話より)
そのころ、福山から脱走した道上の茂市が津和野を訪ねて来ました。彼は脱走後大阪に潜み、宣教師の命で諸国に預けられた人たちを訪ね廻っていました。
その時、仙右衛門、甚三郎、友八は三尺牢に閉じ篭められていましたが、茂市の訪問を伝え聞くと3名は抜穴を潜って改心者が置かれている法真庵へ行き、3年ぶりの再会に涙し、茂市から宣教師からのメダイ、十字架、金子等をもらいました。そして夜もすがら一別以来のことを語り合い、夜が明けないうちに3名は牢に戻り、茂市は次の鳥取を目指して出発しました。
津和野の信徒たちは、減食のために病死者がつづき36名が亡くなっています。1871年7月の政府視察から待遇が改善されて、恐ろしい責めも、いやらしい説得も無くなりました。 |
家族で霊名の日を祝いましょう |
<今月の聖人> |
12月 December
3日 日本宣教の保護者
聖フランシスコ・ザビエル司祭
7日 聖アンブロジオ司教教会博士
8日 無原罪の聖マリア
14日 聖ヨハネ(十字架の)司祭教会博士
26日 聖ステファノ殉教者
28日 幼子殉教者 |
1月 January
1日 神の母聖マリア
2日 聖バジリオ
聖グレゴリオ(ナジアンズ)司教教会博士
21日 聖アグネスおとめ殉教者
25日 聖パウロの回心
26日 聖テモテ 聖テトス司教
28日 聖トマス・アクィナス司祭教会博士 |
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浦 上 街 道
久志 利津男 |
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司祭としての道のり
「主任時代」(2)
実はこの諫早教会は私が1992年4月に着任した1年前までは18年近く主任司祭をされ、ここを最後に1991年5月に引退された中島万利神父様が司牧された所でもあります。神父様は26年余り司牧された浦上教会から1973年3月にこの教会に来られ、その10年後の1983年12月に現在の教会を改築し献堂しています。私が神学科3年の時です。
諫早教会の歴史を見る時に、参考になるのが平成元年に教区司牧企画室から発行された『長崎の教会』。特色として次のように記しています。「歴史的には佐賀藩諫早領であり隣接地の大村、島原と相違してキリシタン信 |
仰の影響が少ない土地柄であったためか現在も信徒数が少ないが、ニュータウンを抱え若者が逐次増加しており、今後が楽しみな小教区である」。1932年(昭和7)に創立され、2020年(令和2)現在で88年となります。さらに1989年の現勢では「世帯数260、信徒総数750」とあり、私が着任した1992(平成4)年には869人で、その6年後には1052人と数も増し、とても魅力のある教会でした。
中島神父様は浦上を離れ、最後の司牧地となったこの教会が忘れられなかったのでしょうね、「久志君、諫早はどうネ、いい所だろ! よろしく頼むよ」とよく声をかけられ、励ましてくれました。美味しい天婦羅の店「中梅」にも何度か連れて行ってもらいました。神父様の88歳「米寿」のお祝いを盛大に近くの八千代ホテルで行なったことも良き思い出となっています。 |
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今年5月、「北アルプス山岳会」で西穂高に登って来ました。夜は一升ビンを囲んで皆で飲み明かし、未だ肌寒い上高地でしたが、翌朝コ一ス毎のパ一テイに分かれ、2時間歩いた雪の中で自己紹介をしてお互いの顔と名前を確かめました▲西穂高山荘で山岳ガイドの蒲田さんと再会。そろそろ疲れの出てきた人もいましたが、快調に「独標」に着いた。下りはグリンセ一ドで遊び、互いに気心も知りあって楽しい仲間となった我がパ一テイ。歌など口ずさみながら、上高地から二輪草のじゅうたんの中を明神岳へと向かう▲昨日からの寝不足も忘れ、楽しいひと時を過ごした。 |
「独標」にいた人達の3分の2は「徳本峠」往復と欲張ってみた。峠から見る穂高や明神岳の姿に感動、ちょっぴり顔をだした「笠ケ岳」がかわいい。個性豊かなパ一テイで皆が快調に楽しく歩き、すばらしい天気とみずみずしい若葉、澄みきった梓川の流れに心も洗われ、非常に楽しい山歩きでした▲世界中で新型コロナウイルスが猛威を奮っている中、大自然の中で過ごした経験は大変貴重なものでした。教会では各種イベントが中止される等厳しい環境にありますが、コロナの早急な終息を願い、心豊かに過ごせる日々が来ることを待ち望んでいます。 |