2021
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(マルコ1・37)
 発行所 カトリック浦上教会
 評議会 広報委員会
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目次
「日曜日いかがお過ごしですか」
二度目の公開ミサ中止
パウロ浜口末男司教様を追悼

信徒による原爆展示室開始
広島と長崎の司教による共同声明
評議会だより
今月の典礼担当地区
平和と祈りのイルミネーションのご報告と御礼
教会学校
壮年会
浦上四番崩れ
今月の聖人
浦上街道
赤鉛筆

助任司祭 ドミニコ 宮原 大地
新型コロナ禍での突然の対応
大分教区主催追悼ミサに合わせ、市内の司祭団と信徒らが集って行われた
「福音宣教の場」に期待
核兵器禁止条約発効にあたって
行事などのお知らせ
1月と2月の典礼当番
境内の被爆遺構石垣に飾られたイルミネーション
教会学校現状報告
クリスマス馬小屋撤去
「旅」の始まりから150年特集(25)
家族で霊名の日を祝いましょう
司祭としての道のり「主任時代」(4)
編集後記
「日曜日いかがお過ごしですか」
助任司祭 ドミニコ 宮原 大地
 今までの生活リズムが崩れると、今日が何曜日だったか分からなくなる時があります。主日の公開ミサ中止。浦上教会司祭たちにとっても「今日は本当に日曜日だったっけ」との思いを抱かせます。日曜日は主の日、キリストの日であり、教会の日、私たち人間の日であり、特別でこの上ない日であるはずなのに、その交わりが薄められてしまっているからでしょう。
 教皇ヨハネ・パウロ二世使徒的書簡『主の日―日曜日の重要性』(1998年発布)は、タイトルの通り、主の日を聖とすることについて述べ、日曜日の重要性を再確認するよう現代のキリスト者に繰り返し呼びかけています。
○教会は伝統的に日曜日と主の復活を結びつけて考えてきました(19項参照)。
 「安息日の後の第一の日」の出来事を見ると、
①キリストの復活
②エマオの2人の弟子に現れる
③集まっていた11人の使徒たちに現れる
④その一週間後、苦しみを受けたしるしをトマスに見せる
⑤過越祭後の第8週目の第1日は聖霊降臨。それは最初の宣教の日であり、最初の洗礼の日、つまり教会の顕現の日(20項参照)。
 このようにさまざまな場面で第一の日は主の日であり、主と弟子たちの日です。教会は、初期の時代から迫害下にあっても懸命に日曜日の重要性を守り、護教家たちが活躍してきました。ある人々の不熱心や怠慢に直面
するときには、教会は日曜日のミサへの参加が義務であることを明らかにし、正式に定められた規則を頼りに勧告をしてきました。教会は一貫性をもって日曜日を大事にしてきましたが、規則としたから守るべきという厳しさだけが取り上げられては足りないように感じられます。
 日曜日のミサへの参加が信者にとって守るべきものであるのは、キリストの愛によって守られるものです。厳しさが日曜日を守らせるのでしょうか。愛が真に日曜日を守らせるのです。共にいることを望んでくださるキリストに向かって教会の集いへと足を運ぶ。キリストへの愛はキリストとの一致、そして兄弟姉妹との一致へと向かいます。
 教会は、日曜日が信者にとってミサへ参加する日であると同時に、休息の日であることも強調します(64項)。仕事を離れて休み、命の与え主である神を賛美する日が週ごとに与えられることを述べます。キリストは安息日に多くのいやしと隣人愛を示します(63項参照)。
 社会の状況は時代によって変わります。地域・家族・個人の体調の具合も日ごとに変わります。しかし、キリスト者の生活における日曜日の価値は変わりません。主日のミサが再開された時、集まれない方がいるのは現実です。兄弟姉妹への親しさをどのように示すことができるか。公開ミサの再開第一の日へ、準備の期間を過ごしましょう。
二度目の公開ミサ中止
新型コロナ禍での突然の対応
 新年を迎え、新型コロナウイルス感染の終息の願いとは裏腹に、1月6日時点で、全国で感染者が6001人を数えた。長崎県下でも新型コロナ感染者数は増加の一途をたどり、同6日、中村法道県知事が感染者の急速な増加を意味するステージ4に引き上げ、県下全域に特別警戒警報を発令。期間は1月7日から17日までとした。
 これを受け、長崎教区では長崎地区3地区の地区長と話し合い、髙見大司教様は長崎地区の全小教区に対して、1月10日と17日の主日ミサの公開ミサの中止(週日のミサを除く)を決定した。18日以降については、県内の動向を注視しながら判断するとしたが、16日夕刻、同知事が市内に県独自の「緊急事態宣言」を発令し、県内全域に「特別警戒警報」を2月7日まで延長することを受けて、大司教様は、感染者が出ていない上五島地区を除く長崎教区全地域の全小教区に対して、2月7日までの主日の公開ミサの中止(週日のミサを除く)を決定した。合わせて2月7日までの「主日のミサ参加義務の免除」も付与。 浦上教会では、1月10日に21名の堅信式が予定されていたが、延期を余儀なくされ、

状況を見ながら3月末までを目処に調整している。公開ミサ中止の知らせは地区毎に案内されたが十分に行き渡らないことも考慮して、1月9日(土)10日(日)の各ミサ前に司祭たちが玄関前で待機していた。
 2月から地区集会を始め多くの諸行事の開催が期待されていたが、中止ないし延期と、年度末に向けて様々な支障をきたすことが現実味となり、教会活動にさらなる不安が懸念される。
パウロ浜口末男司教様を追悼
 昨年12月28日、72歳で天に召された大分教区パウロ浜口末男司教様の追悼ミサが1月11日(月)11時から浦上教会で市内の司祭団10人と信徒らが集って行われました。大分教会で、教区主催の追悼ミサとお別れ式に合わせてのもの。
 突然の訃報で驚きと悲しみの中、12月29日の通夜と30日の葬儀への参列は新型コロナウイルスの感染拡大防止を考慮して教区からは髙見大司教様と中村補佐司教様のみの参加となり、30日には11時から葬儀の時間に合わせてのミサを有志の司祭らが浦上教会で行いました。今回の追悼ミサも終息しない今般の情勢や大雪による交通機関の乱れもあって司教様が関係したゆかりの教会で追悼の祈りが捧げられたと聞きます。
 浦上教会にあっては、当初は同級の小瀬良 明神父様(稲佐教会)による説教が予定されていましたが、葬儀と重なり、出席は出来ませんでしたが事前にお願いしていた浜口司教様への思いを久志神父様が代読。「叙階式を共に祝った仲間を失うことはとても残念で寂しいことです。仲間の中で一番強靭な体を持っておられました。それなのにという思いです」と突然の出来事に触れながら次のように語られていました。「小神学校時代には靴も履かないで素足のままグランドを元気よく走られた姿が思い出されます。慶応大学のスクーリングの帰りには自転車で東京から長崎まで帰ってきたり、2000メートル級の山へ登山をしたり、私には到底真似の出来ないことでした。神学生の時もですが司祭になってからも快く接待する心は変わることなく、食事もよく一緒に致しました。
しかし、時には難しいこともありました。焼鳥屋に出かけ、これは美味しいと言って勧められたものは雀とカエルの姿焼きで、これには少々参りました。上五島、小神学校、そして高松教区での司牧に邁進され、大分の教区長になられました。様々な意味で感謝しています」と昔を懐かしみ、「これまでの貴方の純粋な生き方に神様が報いてくださり、貴方の思いが大分教区の新しい姿になりますように祈ります」と悲しみの中にある貴教区への思いが綴られていました。
 1975年3月19日、浦上教会での叙階式。前田万葉枢機卿様を初め4人の同級生と一緒にそのお恵みをいただいた祭壇前に置かれた遺影を中心に、ミサの終わりには司祭団がグレゴリオ聖歌「サルヴェ・レジナ(元后あわれみの母)」を歌って、故人を心から偲ぶお別れ式を終えることが出来ました。
 「主よ、永遠の安息を司教様に与え、絶えざる光を照らし給え。安らかに憩わんことを」。
「福音宣教の場」に期待
信徒による原爆展示室開始
 これまで師イエズス修道会のシスターが信徒会館の開閉を含め「原爆遺物展示室」を観覧する方々を迎えていたが、この2月から新体制のスタートとなった。予定は2月1日(月) であったが、緊急事態宣言を受けて1週間後の8日(月) となった。
 昨年11月にリニューアルしたこの展示室は3カ月の準備期間を経て、信徒による管理体制となる。ドアの開閉、保安、聖具(小物)のみの売店を切り盛りする奉仕者を募り、54人(うち修道者7人)が手を挙げた。
 最終の準備として1月17日(日) 10時30分から新体制の意図とそのノウハウなどの説明会を行った。注目は中町教会で8年前にかつての「パウロ書院」を引き継いだ「マルチレス中町」の関係者3人を招き、現場のことを話してもらった。軌道に乗るまでの苦労と現場での信徒同士の関わりや一般の方々との出会いなど福音宣教の一端を経験している話の内容は大いに励みとなり力となった。参加者の一人は「ある方から誘われるままに申し込んだのですが、正直言って全く自信はありませんでした。今日、中町の方の話を聞き、私で良ければ、という気持ちの切り替えとなりました」と嬉しい言葉が返ってきた。
 始まったばかりで、奉仕者の思いが想像されるが、時間とともに体制が整えられ、福音宣教を実体験する喜びを感じ取るに違いない。「展示の観覧と同時に遠慮なく声をかけてください。ここは平和の発信地であり、出会いとふれ合いの場ですから」とある奉仕者の言葉。
 開館時間、10時から16時まで。木曜定休日。
広島と長崎の司教による共同声明
核兵器禁止条約発効にあたって
 2017年7月に採択されていた核兵器禁止条約が1月22日(金) 正式に発効されたことを受けて、高見大司教様と白浜満司教様(広島教区)は共同声明を発表されました。
 この日は被爆マリア小聖堂でのロザリオに始まり、11時2分の原爆投下時間にあわせて黙祷を捧げ、声明文が2人の司教様により読み上げられました。
 お二人は、教皇フランシスコの「すべてのいのちを守るため」核兵器のない世界が必要であるとの長崎での訴えに、働きかける決意を新たにすると宣言されました。
評議会だより
【2月】

(5日) 日本二十六聖人殉教者 6時   (典礼)
     初金ミサ 女性部担当地区:本原
       10時  聖堂        (女性)
     十字架の道行 19時 聖堂    (本部)
(7日) 日本二十六聖人殉教記念ミサ
       新型コロナのため中止    (信使)
     評議会 19時          (本部)
(8日) 売店フレノオープン祝福式
     10時 信徒会館
(11日)旅の日記念ロザリオ 5時30分   (典礼)
(13日)お別れ遠足(予定)
        9時10分 司祭館      (信教)
(17日)灰の水曜日 大斎・小斎 6時  (典礼)
(19日)十字架の道行(四旬節中の毎金曜日)
      19時30分 十字架山     (典礼)
(21日)初聖体式ミサ・感謝の集い
      9時30分          (信使)
(28日)浦上小教区への転入者紹介
      9時30分         (シャロ)
【3月】

(5日)初金ミサ(女性部担当地区:橋口・岡)
     10時
     性虐待被害者のための祈りと償いの日
      初金ミサの中で       (本部)
    十字架の道行(四旬節中の毎金曜日)
     19時30分 十字架山
     教会では19時より        (典礼)
(7日)教会学校3学期終業ミサ・終了式
      7時30分          (信教)
    本年度亡くなられた会員のためのミサ
      9時30分          (壮年)
    新小学1年生保護者会
      9時30分ミサ後 教会学校  (信教)
    評議会 19時 信徒会館      (本部)
(11日)旅の日記念ロザリオ
      5時30分          (典礼)
(13日)侍者・聖歌隊の集い       (信教)
(14日)堅信式
      9時30分ミサ        (信教)
(21日)叙階式
     13時 聖堂          (教区)
 行事は変更・中止される場合があります。
 今月の典礼担当地区
《2月》四旬節

7日[日] 年間第5主日      坂本1・平野
14日[日] 年間第6主日          坂本2
21日[日] 四旬節第1主日         平和
28日[日] 四旬節第2主日       岡・小峰
《3月》四旬節・聖ヨセフの月

7日[日] 四旬節第3主日         大橋
14日[日] 四旬節第4主日         昭和
21日[日] 四旬節第5主日         橋口
28日[日] 受難の主日(枝の主日)   上野1
      世界青年の日
平和と祈りのイルミネーションの
ご報告と御礼
 昨年の12月19日の点灯式から待降節と降誕節中、浦上教会境内の石垣に飾られ、教会のイルミネーション
と合わせて艶やかな輝きを見せてくれた光の競演は、平和町商店街振興組合と市民団体アジェンダNOVAながさきが浦上地区の活性化を図る目的で企画したプロジェクトの第一弾として行われました。今回、多くの企業、団体、個人の方々のご賛同をいただき実現したものです。
 今後は再整備中の天主公園を中心に松山町交差点まで数年かけてライトアップし、クリスマスの雰囲気を浦上教会とともに演出していく予定です。
 企画から準備、撤去まで力添えをいただきました、平和町商店街振興組合等の皆様には心より御礼申し上げます。今後も教会との光のコラボレーションで平和の発信に勤しんでいきたいと思います。
教会学校
■教会学校現状報告

 新型コロナウイルス感染拡大の影響を受け、髙見大司教様は1月10日と17日の主日の公開ミサを中止しました(1月7日付)。これを受けて、1月17日(日)に予定されていた教会学校3学期の始業ミサと始業式は中止になりました。
 これと併せて、2月7日(日)まで教会学校を休止し、2月9日(火)から学年単位で開始することとしました。新型コロナの感染状況が今後どうなっていくのか注視していきますが、教会学校の開始が危ぶまれる場合は、2月4日に判断することといたします。
 主日の公開ミサや教会学校が一日も早く再開されることを願っています。
クリスマス馬小屋撤去
壮年会
 昨年の待降節から聖堂内に飾られていた馬小屋が1月24日(日) 壮年会のメンバーが中心となりかたづけられました。
 飾られていた馬小屋は、祭壇にぴったりとうまく収まっていましたが、撤去となると大変です。祭壇全体所狭しと、樹木や像が置かれていて足の踏み場も無い状態でした。
 壮年会の皆様、有難うございました。
浦上四番崩れ
「旅」の始まりから150年特集(25)
「因幡(鳥取)」に行った人たち①

 鳥取に流されたのは家野郷の人々で総員163名でした。
 先ず戸主30名が汽船で鞆(とも)に送られ、5名づつ腰縄にされて鳥取へ陸行し、椿谷の牢獄に打込まれました。婦女子133名は1月7日、時津から早岐に渡り、御厨村(みくりやむら)まで歩き、そこで各地に流される信徒が沢山集合していたところに17日間とどまりました。行き先別に色紙を頭に付けられ、鳥取は赤でした。帆船に乗って鞆に向いましたが玄界灘の波は荒く難航し、衰弱のあまり2名が亡くなりました。鞆からは腰縄を打たれて大雪の中を力行し3月18日に到着、丸山の善久寺に収容されました。
 17日後伝道婦深堀ワサ外31名が戸主の収監されている椿谷の牢へ送られました。この牢は俗に黒鉄牢と呼ばれ、切石を敷き詰めた上に床を張り、頑丈な板壁を四周に廻らし、天井は極めて低く5尺2寸の高さで、出入は四つ這いになってやっと通れる毘沙門が1カ所のところでした。一番奥の間に普通罪人、次がキリシタンの男子、その次が女子の順で監禁されました。
各室とも6畳程でしたが、ここに30名が押込まれたので、鮨詰めで窒息せんばかりの苦しみを受けました。
 食事は水の様な粥をすすらされ、日一日と衰弱して行きました。鳥取での改宗手段は体刑を行わず、ただに苦しめ、ゆっくりと乾干しにして、性根尽き果てた上で説得を行い、衰弱するにつれて御用の呼出しが増えて行きました。この有様で9カ月も経つと飢渇と疲労の為に死人も同様になって、人手を借りないと御用にも出れなくなり、遂に男子室では耐えかねて改心を申立ててしまいました。ただ、時蔵と吉蔵という2人は最後まで踏み留まり、衰弱の余りに死亡しました。
 10月頃になると男子室は空になったので、その後にワサの妹リン外17名の女子が送られ、同じ様な憂き目を見ることとなり、わずか6カ月の間に7名が病死したことはいかにこの責苦が苦しいものであったかが分かります。川上のタカという16歳の乙女が病にかかり危篤になりました。熱の為に渇きを訴え一杯の水を所望しましたが、牢役人は水が欲しければ改心せろといって取合いませんでした。タカは最後まで耐え忍びました。男子は改心してしまいましたが、2番室も3番室も最後まで揺るぐことはありませんでした。
家族で霊名の日を祝いましょう
<今月の聖人>
 2月 February

 3日 福者ユスト高山右近殉教者
 5日 日本廿六聖人殉教者
 6日 聖アガタおとめ殉教者
10日 聖スコラスチカおとめ
3月 March

17日  日本の信徒発見の聖母
19日  聖ヨセフ
 浦 上 街 道

             久志 利津男
司祭としての道のり

     「主任時代」(4)

 『いざ』主任として司牧の現場へ! 特に冠婚葬祭では緊張が走ります。ふと恩師・故佐藤哲夫神父様が結婚式の最後に新郎新婦とその両親に一言を言わせていたことを思い出し、同じ行動に心掛けました。当人たちの気持ちをほぐしこの時のことを忘れるな、との計らいと同時に司祭と参列者のコミュニケーションを意図したことだったと私なりに解釈しています。今でも佐藤師の大事な遺言と思い、状況を見極めて結婚式や通夜の最後にちょっとした語らいの時を設けています。
 諫早教会で行われたある通夜でのこと。「故人はどんな方でしたか」の問いに、「亡くなったから言うのでは
ないですが、本当にこの方は良い方でした。決して人の悪口は言いませんでしたから」。生前の生き様の基準が『悪口を言うか言わないか』、改めて思い知らされた瞬間でした。
 言ってはいけない、聞いてもいけない「人の悪口」。案外、口にしたいし、また聞きたいのが世の常。「ここだけの話ですよ」と念を押したところで、それはここだけの話ではなく、もう時間の問題。司牧の現場で、事もあろうに冗談で人の噂を口にしてしまったことから、冗談では済まされない経験をした私にとり大いに反省の余地があります。それは同時に「宣教の妨げ」の要因に「人の悪口」が一理あるようです。
 唐突ですが、「人の噂(悪口)を聞いているあなた! 案外、その人は別のところであなたの噂を口にしているかもしれませんよ」。くれぐれもご用心を!!
 昨今のコロナ禍の中、不安な日々を過ごしていることと思います。私自身も不安だからこそ気になり、日本人の原因別死亡者数について調べてみました(インターネット等で調べたものであり、数字について参考数値でお願いします)▲まず、コロナが原因で犠牲になられた方がどれくらいいらっしゃるのかですが、昨年2月からの累計で年明け1月の半ばで約5千人ほどでしたので年間約5千人と考えます▲それでは、死因と死亡者数の1位から3位までですが1位はがん(約37万人)で、2位3位については心疾患(約20万人)脳血管疾患(約11万人)となります。 実は老衰(自然死)もこの間にあるのですが死因を病気に限定して割愛します。では、続く原因は何でしょう?実は肺炎で、死亡者数はなんと9万5千人です(インフルエンザですら毎年約1万人)▲この数字を見てコロナについては相対的に気にしなくて良いと言いたいわけではありません。実は今年度の他の多くの感染症について減少傾向にあり、これはコロナ対策の徹底によるものだという見方もあるのだそうです。ですので、これからもみんなで対策を徹底しながら神様へお祈りをしていきましょう。