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目次
続「もっと物ば言え」
堅信式と大司教様公式訪問
3月21日 司祭叙階式
2年ぶりに黙想会
「江平中学校」閉校
評議会だより
今月の典礼担当地区
浦上抄
今月の聖人
浦上街道
赤鉛筆 |
主任司祭 ペトロ 久志 利津男
2か月を待って20名が受堅 おめでとう ナム神父様
長崎教区に3人の新司祭誕生
宮原司教「信仰の確信を」
60年、教会の歴史とともに
行事などのお知らせ
4月と5月の典礼当番 1、時のしるし 広報担当司祭
家族で霊名の日を祝いましょう
特別編
編集後記 |
続「もっと物ば言え」
主任司祭 ペトロ 久志 利津男
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突然で、その上に余りにも強烈なこの表題に驚いたでしょう。政界で大いに活躍し、晩年は平和運動に勤しんだ亡き本島 等さんが生前、某新聞記者とのやり取りを連載しそれを一冊の本にまとめて世に送り出すに当たって自身が書かれた手記の一文です。「続」としたのは今から6年前、中町教会を離れるその月の小教区報「地の塩」に書いたタイトルと同じだからです。
なぜ、あの時にあえてこの表題を使わせていただいたのか? 一つは本島さんが中町に籍を置きながらもどんなにか浦上を愛していたかが本文から見て取れるからです。同時に迫害と原爆の地、そして司教座教会にすでに異動が決まっていた私にとり、驚きと不安の中にあって、後ろ髪を引かれる思いでこの中町を後にするがゆえに、それは本島さんの中町への心からのエールだと確信したのです。そしてさらに付け加えるなら、私の父と同級であった本島さんの大海原に出向く私への絶大なエールだと希望したからです。
あれから6年の歳月が経ちました。本島さんの最期を看取り、お別れの葬儀に立ち会った私に、本島さんがどのように語りかけるのか、もしあの血気盛んな時の本島さんだったら今の私にどう諭すのか、とても興味があります。合わせて、こんにち、様々な理由で信仰様式が様変わりしている中で、この浦上の私たちに、本島さんは声を大にしてどう語りかけるでしょうか? |
一にも二にも言えることは「もっと物ば言え」。 当たり前のようで、しかし奥が深いこの表現を吟味するために、「地の塩」4月号の後半をそのまま掲載することにしました。
本島さんの「もっと物ば言え」というその真意をすべて網羅できませんが、その言葉の前後の文章で彼の思いを診ることができるようです。
「浦上の信者たちは激しい宗教弾圧を耐え忍んできた上に、原爆ですべてを失った。いくら語っても余りあるはずなのに、多くが純粋に信仰に生き、黙っている。僕も同じ信者だが、彼らのような試練を受けたら、信仰も沈黙も守る自信がない。彼らに対する思いは、あこがれよりも、むしろ感謝と言えばいいだろうか。今日の僕があるのは、カトリックのお蔭。特に、五島から浦上に来て日が浅いにもかかわらず、彼らには選挙で本当にお世話になった。この本を通して、感謝の意味を込め、『もっと物ば言え』と彼らに伝えたい。信仰に生きるのはわかるが、富や名誉など世俗的なものにも執着したっていい。広く語ることは世間にとっても、自分たちにとっても、意味があるんだと激励したい。」
2009年6月、第18回浦上教会評議会研修会で演台に立った本島 等さんは2014年10月31日に天に召されました。享年92歳。来年(2022年)、生誕100年を迎えます。 |
堅信式と大司教様公式訪問 |
「教会にキリストが掛けられた
十字架があるのはなぜ」
待ちに待った堅信式。前日のリハーサルは、青空の良い天気に恵まれ、受堅者達はお互いに緊張の面持ちで、式の段取りを説明する宮原神父様の話に真剣に聞き入り確認しました。宮原神父様から、式中の「主の平和」「アーメン」は元気よく、はっきりと答えるようにと指示、一人ひとりに念を押していました。
当日も天気に恵まれる中、9時に髙見大司教様が到着されると20名の受堅者と保護者、その家族、教会関係者がいっせいに笑顔と大きな拍手で大司教様の浦上教会公式訪問を歓迎しました。にこやかな赤い祭服の大司教様が信徒に向かって優しくお声掛けされると、その場が温かい空気で包まれました。例年、冷たい風の吹く1月に行われる堅信式が、コロナ禍のため、少し温かくなり、穏やかな3月に行われるという事も、今年ならではの事なのでしょう。 |
ミサの中で「堅信は洗礼の恵みを深める秘跡です。今の時代は、神様を賛美し、祈りを捧げる事が自由にできる時、愛がカトリック唯一の掟です」と話される大司教様の言葉を改めて、受堅者と共に味わう時間となりました。また「教会にキリストが掛けられた十字架があるのはなぜと、他の人から聞かれた時に説明ができますか」との大司教様の問いに、私達も祈りながら、神様の愛と、人を救うために、という意味をしっかりと考え、深めていかなくてはと改めて思いました。
式の途中で改めて十字架を見つめた時、ステンドグラスを透す陽がとても印象深く感じられました。
今日の堅信式で心に受け、感じた思いや、灯りがこの先も、ずっと消えることのないように祈らずにはおられません。参列者に見守られながら無事に終了し、幸せに満たされました。しかし終わりではありません。これからも共に探求の道を歩んでいきましょう。 |
受堅者の感想文を一部紹介
『今日の堅信式をして、僕は初めての体験だったのでとても緊張しました。その中でも1番前の席だったので、みんなに見られていると感じ、ちゃんとできているかどうか不安でした。だけど、おわったら心が楽になり、達成感がすごかったです。昨日リハーサルをしてみて、かんたんだったけど本番になると、ぜんぜん分からなくなりました。前にぶどう酒を運ぶのがとくに緊張しました。(中1・武田
仁)』
『昨年の洗礼式に引き続き、堅信の秘跡もコロナ禍で延期となってしまいましたが、そのような状況の中だからこそ、本日お恵みをいただけた喜びもひとしおです。今の思いを胸に、今後も信仰を深めていきたいと思います。(成人・須藤政美)』 |
『この1年堅信の勉強を行って無事堅信をうけることができてよかったです。4月から勉強を始めて、テストにうかるか不安だったけれど、神父様のご指導のおかげで今日、堅信を受けることができました。コロナウイルスの影響によって一時勉強もなくなったけれど、またみんなで集まることができてよかったです。今日の式はたくさんの人が関わって準備していただいてとてもいい思い出になりました。学校でもカトリックの勉強頑張ります。(中1・宇野優芽)』
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おめでとう ナム神父様
長崎教区に3人の新司祭誕生 |
3月21日(日)13時から髙見大司教様司式による叙階式が執り行われ、韓国大邸(テグ)大司教区上毛(サンモ)教会出身のナム・シジン助祭が、ヨセフ鼈甲屋賢治助祭(宝亀・中野教会)、パドアのアントニオ西田祐尚助祭(飽の浦教会)と共に司祭叙階のお恵みに与りました。
ナム新司祭は、長崎教区と大邸大司教区が取り交わした神学生派遣・受け入れの合意により来崎し、長崎での司祭叙階後10年間を長崎教区で司牧することになっています。福岡コレジオ、大神学校で学んだ後2019年12月27日、韓国大邸大司教区で助祭に叙階され、大神学校での勉強を続けながら浦上教会所属の助祭として奉仕を続けてこられました。
式前の教話で飽の浦教会主任・岩村知彦神父様は「司祭の高齢化が進み、新たな召命の減少が大きな問題になっている今、3名の若い司祭の誕生は本当にありがたいことです。彼らの召命を始め、その道を完成させて下さった神様に感謝したいと思います」と話しました。 |
大司教様の司式で叙階ミサは進み、司祭による按手、聖香油の塗油で無事に新司祭が誕生しました。
未だ収束の兆しが見られない今般の情勢からナム新司祭の母国韓国からはどなたの参列もかないませんでしたが、同時に行われたライブ配信を使い、ナム神父様から韓国のご家族、信徒の皆様への感謝のメッセージが送られ、先輩の韓国人司祭キム・ボム神父様による、代読・通訳で大邸大司教区長の祝電が紹介されました。
今後、ナム新司祭は滑石教会で助任司祭として、また、鼈甲屋神父様が浦上教会の助任として司牧することになっています。
なお、ナム新司祭の初ミサは3月22日(月)浦上教会の6時のミサで行われました。
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「見なさい。
あなたの母です」
南 時眞(ナム・シジン)
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写真は3月30日に
おこなわれた
司祭の日の祝式より |
先日、3月21日に叙階された南 時眞(ナム・シジン)神父です。
長崎の信者さんからいただいたたくさんの支えとお祈りのおかげで叙階することができました。これからも司祭として働きながら、長崎の信仰を学ばせていただきたいと思っています。どうか、これからも叙階された3人の新司祭のために、お祈りお願いいたします。
叙階式に親が日本に訪れるつもりで、最後の最後まで努力をなさいましたが、今の状況の中では無理という判断で諦められました。親が一生、一回しかない自分の息子の叙階式に参加できなかったことは非常に残念なことでありますが、その代わりに私はたくさんの親を得ることができました。 |
十字架上でイエス様が母とそのそばにいる、愛する弟子とを見て、母に、「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」と言われ、それから弟子に「見なさい。あなたの母です。」(ヨハネ19・26-27)と言われたように、これから私の親は長崎の信者さんであり、私は長崎信者さんの息子です。家族のように結ばれている絆を大切にし、信者さんに仕える者として働きたいと思います。
叙階式当日、式の中で髙見三明大司教様から「契約した10年が経っても喜んで派遣期間を延長してほしい」と言われました。10年が経って韓国に帰るか、派遣期間を延長して日本に残るかわかりませんが、10年経っても皆さんから「ナム神父は、日本に残ってほしい」と思われることができるように頑張りたいと思います。繰り返しになりますが、3人の新司祭が謙るものになれますようにお祈りお願いいたします。 |
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ステファノ南 時眞神父様
司祭叙階のお祝い
3月28日(日)受難の主日9時30分は、21日に司祭叙階された南神父様が浦上教会での公式初ミサとして司式されました。
南神父様は大邱(テグ)大司教区・上毛(サンモ)教会の出身で、浦上教会に所属して司祭への道を歩まれました。この度、司祭叙階のお恵みを受けて「私は神様の計らいと皆様のお祈りによって司祭叙階の恵みをいただきました。心から感謝します」とお礼を述べられ、神の導きのうちに奉仕者として成長されることを皆でお祈りしました。
ミサの終わりにお祝い式が行われ、久志主任神父様、信徒代表で副議長深堀哲也さんから祝辞が述べられ、又、赤尾繁樹経済評議員からはお祝いが贈られ、最後に南神父様からは4名の神父様方に感謝の言葉があり、新司祭誕生を皆で喜び感謝しました。 |
2年ぶりに黙想会
宮原司教「信仰の確信を」 |
復活節を前に、黙想会が3月21日から26日まで行われ、宮原良治司教様(前福岡司教)が御聖体やゆるしの秘跡の意義を説くとともに、信仰の確信を持って教会と社会の橋渡し役となるよう語りました。
昨年は新型コロナウイルス感染拡大防止で中止したため、今回は2年ぶりの開催。例年の3日間ずつを2日間ずつに短縮し、夜の部を3回、昼の部を2回実施しました。
宮原司教様は講話で、「聖体に対する聖トマの祈り」ができたきっかけとして、ドイツの司祭トマス・アクィナスが巡礼中のミサの時にホスチアから血が落ちてきた13世紀の出来事に触れ、「不思議な現象はなくてもいい。御聖体は愛の結晶とも表現できる素晴らしいお恵み」と説明。ゆるしの秘跡に関して、「神様にどれだけ応えたのかを振り返りましょう」と糾明(反省)の方法をアドバイスし、「信仰は重荷でなく、永遠の許しへの招き。その出合いがゆるしの秘跡です」と再確認しました。 |
これらの恵みを「伝える喜び」へと高めることの大切さにも言及しました。1960年代の第2バチカン公会議で「開かれた教会」が打ち出されたことを踏まえ、社会生活や家庭生活を営む信徒の使徒的役割を解説。「教区シノドスの祈りにある『新たな熱意、表現、方法』で、きっと教会は前向きに変わります」と信徒の積極的な関わりに励ましと期待を寄せ、講話を閉じました。 |
「江平中学校」閉校 |
60年、教会の歴史とともに
「夢を育む、絆・感動・輝きのある学校」を教育目標に掲げて1961年に設立され、60年の歴史がある長崎市立江平中学校が生徒数の減少により、2021年3月31日、山里中学校との統合に伴い閉校となりました。 |
2月21日に閉校式、3月16日には最後の卒業式が行われました。
14人の卒業生の2人は信者でその1人の小島心之介君は「少ない人数でも絆を深め、最後までやりきることができました。これも多くの方々が支えてくださったお陰です。ありがとうございました」と話し、兄弟5人全員が卒業生で江平一の大川千恵子さんは、「閉校は悲しく残念です。テレビで校歌を聞き、思いが込み上げ涙しました。あの時のことは心に刻まれ、決して忘れることはないでしょう」とその心境を語ってくれました
教会の近隣でもあり、信者は教会と学校を両立しての人生の基礎を築いたがゆえに、閉校は無念の思いであるに違いありません。教会の歴史とともにあったこの学び舎で受けた精神がこれからも受け継がれ、さらなる活躍を心から願うばかりです。 |
評議会だより |
【4月】
(1日)聖木曜日(主の晩餐)19時 (典礼)
(2日)聖金曜日(主の受難)
大斎・小斎
十字架の道行 15時 十字架山 (典礼)
(巡礼団14時教会出発)
交通整理・十字架担ぎ: 壮年会
担当:エリ、ビン、本部・全地区
(本部・壮年会)
主の受難 19時 (典礼) (3日)聖土曜日・復活徹夜祭 19時 (典礼)
(3~4日)ご復活祭愛の募金活動 (ビン)
(4日)復活の主日
7時30分 9時30分 (典礼)
新役員任命式 9時30分ミサ (本部)
評議会 19時 信徒会館 (本部)
(11日)旅の日 記念ロザリオ「旅する教会の神秘」
5時30分 (典礼)
生きておられる全会員のためのミサ
9時30分 (壮年会)
壮年会年次総会
9時30分ミサ後 信徒会館 (壮年会)
(18日)新年度始業ミサ、始業式・入学式
7時30分ミサ、ミサ後 (信教)
(20日)小学生勉強始り 16時 教会学校 (信教)
(24日)新入生歓迎会 13時 (信教)
中学生勉強始まり 17時30分 (信教)
(29日)ビンセンシオ会員・家族・帰天会員
のためのミサ 6時 (ビン)
永井博士追悼ミサ 14時 聖堂 (ビン) |
【5月】
(2日)久志神父様(聖ペトロ)
葛島神父様(聖パウロ)
への霊的花束のお知らせ (信使)
評議会 19時 (本部)
(7日)初金ミサ
(女性部担当地区:江平、平野、平和)
10時 (本部)
十字架の道行 19時 (本部)
(9日)母の日・女性部のためのミサ
7時30分 (女性)
聖母行列 9時30分ミサ後 (信教)
(11日)旅の日記念ロザリオ
5時30分 (典礼)
(15~16日)植物展示即売会予定
各ミサ後 (壮年)
(16日)主の昇天 各ミサ (典礼)
浦上小教区への転入者紹介
9時30分ミサ (シャロ)
(23日)聖霊降臨 各ミサ (典礼)
(30日)三位一体 各ミサ (典礼)
教会学校清掃 保護者交流
7時30分ミサ後 (信教)
行事は変更・中止される場合があります。 |
今月の典礼担当地区 |
《4月》四旬節・復活節
4日[日] 復活の主日 本部
11日[日] 復活節第2主日 上野2
(神のいつくしみの主日)
18日[日] 復活節第3主日 高尾A
25日[日] 復活節第4主日 高尾B
世界召命祈願の日 |
《5月》復活節・聖母月
2日[日] 復活節第5主日 本原
9日[日] 復活節第6主日 扇
世界広報の日献金
16日[日] 主の昇天 石神・辻2
23日[日] 聖霊降臨の主日 石神2
30日[日] 三位一体の主日 大手・女の都 |
浦 上 抄
広報担当司祭 |
1、時のしるし
時間というのは不思議な働きをする。昨年2020年は被爆75年の節目の年だったが、その深い感慨と共に、信徒の方々に新しい意識が生まれたことが窺える。例えば、「原爆資料室」の改装である。経済的負担を超えた神様の要請であったとも言えよう。11月1日のオープニング式典、この日が長崎教区司教座聖堂としての献堂記念日と相まったこともあり、浦上教会に何か新しい風を感じた方も多かったようである。
尚、時間の働きは絶えず、12月8日、教皇様は、聖ヨセフがカトリック教会の保護者として宣言されてから150年を迎えるに当たり「ヨセフ年」を宣言。聖ヨセフと言えば大工、奇しくも、浦上教会の建立に献身されたフレノ神父様の帰天から丁度110年に当たる。まさに時のしるし、2月8日に売店「フレノ」が信徒の方々によって始動。本来の福音宣教の姿が構築されつつある。過去は現在を創り、現在は未来を創る。実に、長崎の各地に散らばる教会がこの浦上教会を向いている。その自覚と誇りを持ちたい。
〈つづく〉 |
原爆遺物展示室リニューアルオープン 祝福式
聖品売店「フレノ」 |
家族で霊名の日を祝いましょう |
<今月の聖人> |
4月 April
29日 聖カタリナ(シエナ)おとめ教会博士 |
5月 May
3日 聖フィリポ 聖ヤコブ使徒
14日 聖マチア使徒
26日 聖フィリポ・ネリ司祭
31日 聖母の訪問 |
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浦 上 街 道
久志 利津男 |
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この紙面でもって、私事で申し上げることをお許しください。
皆さんは「触発される」という経験はないでしょうか! 昨年、被爆75年を迎え、長崎市は「記録として残す」をテーマに掲げました。コロナ禍の中にあって、そのことを胸にこの節目をしっかりと受け止め、過ごしてきた多くの方々の一人として、記録の継承の意味がどんなものであるかを次第に感じるようになりました。その結論が私のここ10年を振り返ることでした。実は10年前に司祭叙階25年であったためにそれまでを区切っていたことでもあります。 |
この10年を遡って、4年の中町教会、そして6年の浦上教会で、26聖人列聖150周年、信仰年、教区シノドス、信徒発見150周年、いつくしみの特別聖年、浦上四番崩れ150周年、旅の始まり150周年、フランシスコ教皇来崎、被爆75周年と長崎教区内外に関係する価値ある記念行事が行なわれました。この貴重な出来事を経験してきた私にとって「残す」ことはとても大事ではないかと、まさに触発されて、今回、一つにまとめることにしました。タイトル、「生きてるっていいね! 4年と6年『記録として残す』 」。 少し、気障な表現ではありますが、本当に正直な気持ちです。
拙著ではありますが、同時に「浦上街道」の執筆がなければ実現できなかったことも事実です。まことに身勝手なお願いになりますが、各世帯にお配りしますので、ご笑納いただければ幸いです。 |
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「吾肺は癌である」・・長年、私は間質性肺炎(特発性肺線維症)を患っており、二・三か月に一度は診察を受け、見守り観察をしていたが、去年の5月の診察で突然右肺に癌があると言われ、妻と共に説明を受けたが、薬はなく、また、肺炎があるため、抗癌剤も使えず、放射線治療もできないとのこと、まさしくガ~ンと打ちのめされた気持ちだった▲妻は心配して何とか薬がないかとネットで調べ、東京の虎の門病院で新薬が出来たという記事を見つけた。それを主治医に言ったら、さらに調べられ治療薬は無いがドイツで開発された新薬の「オフェブ」と言う緩和薬を紹介され現在も続けている▲この |
薬は1粒4,600円、これを1日に2粒飲むことになり高額である。したがって難病の指定を受けることになった。検査入院し酸素の取り込み量をはかったら6分間急いで歩いた後の値がいつも78%ぐらいだった。いつ倒れてもおかしくない値だそうだ。しかし、私はいつも平気だった。免疫力や体力をつけるためテニスやウォーキングを続けているからだろうか▲「煎じ薬」・「癌の書籍」や「病者の塗油」まで与かり皆様方のお祈りに支えられて、コロナ禍や癌に打ち勝ち、元気で「復活祭」の聖歌を歌いたいものである。 |