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目次
2021年からの示唆
司教座聖堂献堂記念ミサ
ベアトス様殉教祭
赤城墓地 聖職者追悼ミサ
浦上出身聖職者追悼ミサ
クロアチア紛争から30周年
被爆の浦上で祈念追悼ミサ
ご降誕を迎えるために
評議会だより
12月の地区集会
今月の典礼担当地区
教会学校
今月の聖人
浦上街道
赤鉛筆 |
協力司祭 パウロ 葛島 輝義
62回目の献堂記念の日を迎えて
11月3日 中村倫明司教様司式のもと殉教地で
11月9日 赤城聖職者墓地にて
11月16日 浦上出身教区司祭とともに祈る
11月18日 クロアチア大使、
教皇大使参事官が参列
境内の清掃、馬小屋とクリスマスツリーを準備
行事などのお知らせ
12月と1月の典礼当番
赤城の聖職者墓地墓参、第3回堅信組保護者会
家族で霊名の日を祝いましょう 永遠の安息を祈って亡き司教と司祭へ(1)
編集後記 |
2021年からの示唆
協力司祭 パウロ 葛島 輝義 |
年月は、永遠の時間を通り過ぎて行く旅人のようなもの ―、来てはまた去って行く季節も旅人 ―、そして、人もまたその巡り行く季節の中を去って行く旅人
―。ある心豊かな先人はそう語った…。
2021年の元旦も、振り返れば、まだ、すぐ後ろにありそうな気もするが、冬の中にコロナが同居する渦中に春が来たし、空梅雨に始まった夏は、8月になるや思い出したかの如く連日の豪雨、セミの声は夏の演出から外され、日暮れの早さと共に秋は忍び寄る。そして、寒暖の差に運ばれた初冬
―。温暖化が叫ばれているが、今年も数十年に一度というようなものが、地球のあちこちで起きている。よく考えなければいけないのは、人類がやって来たことによって、豊潤な季節や海や山が崩壊している可能性がある。そして、人の世の関係不全と無縁ではなさそうだということ…。
次々とメディアから放出される出来事は、各人に何か大切な示唆を投げかけているのだろうが、その一つひとつをじっくりと心に留めて思考する時間もなく、すぐに次の出来事が起きる。自死、虐待、殺人、交通違反、いじめ、隠蔽、詐欺…当事者は、それが発覚しても罪悪感どころか、むしろ強権的だったりする。法もブレーキの役割を果たせない。不幸な様である。
このような時代にあって、教会も、内から、外から問いかけられている。
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「信仰や教会は世の中に必要なのか?」、「必要なら、何のために必要なのか」、「自分は教会に所属しているが、教会に行く必要や意味を感じないし、信仰無しでもちゃんと生きられる」。この背景には、真に自らの内面を見つめ、義を養っていく場を持っていないことが想定される。
キリストは、こう促す。「人の中から出て来るものが、人を汚すのである。」(マルコ七・15)。人の内面から悪が湧いて来ると、その解決は、命の源である神の支配に属する。つまり、神の愛に結ばれる必要があることを教会はずっと説いて来たが、先のような問いには神学問答のような口先で答えても世の共感は得られにくい。信仰者が神との信頼のうちに、共に内面を育て合う。そこから生まれる愛の行為こそが世の共感を呼ぶ
―。その先にこそ、先のような不幸な出来事は溶けて行くに違いない。
さながら、1年を顧みる季節である。世の中の大きな出来事とは別に、一様に感慨深く思い起こされ、今なお胸の疼くような内面の歴史の一ページが今年も綴られたことだろう―。喜びに彩られた一ページ、悲しみに染めぬかれた一ページ。…この司祭たるや、ここに来て、心臓病に加え、足の麻痺により、見苦しい姿を晒す一方初歩的な過失、恐縮の至りである…。
やがて、年の暮れの鐘が鳴る。そこから新しい呼びかけを受け取り、旅人は一筋に成長することを目指さなければならない ―。 |
司教座聖堂献堂記念ミサ |
11月1日(日)長崎教区の司教座聖堂である浦上教会は62回目の献堂記念の日を迎え、18時より記念のミサが執り行われた。原爆での倒壊から再建された浦上教会は、1959年11月1日に献堂式がおこなわれ、1962年1月1日から長崎教区の司教座聖堂となっている。
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この日のミサは髙見大司教様主司式のもと中村補佐司教様と15名の司祭、200名ほどの信徒が参加し共に祈りが捧げられた。
髙見大司教様は「ラテン語でカテドラルと呼ばれる司教座聖堂は教区の中心として、ローマにつながっています。この司教座聖堂を中心に共に歩んでいきましょう」と呼びかけられ、共同祈願ではこの聖堂が、ここを訪れる人々を神様と出会わせる宣教の場になりますようにと願いが捧げられた。
最後に大司教様は今日のミサに奉仕をしてくださった方々への感謝の意を述べ、これからもキリストと司教座聖堂を中心に信仰の道を進んで行きたいとし祝福のうちにミサは終了した。 |
ベアトス様殉教祭 |
11月3日、橋口町ベアトス様の記念碑を囲み、中村司教様司式のもと、神父様・シスター始め40数名の信徒の参加のうちに、殉教者を讃えてミサが捧げられました。
この殉教祭は徳川三代将軍家光のころ、水責めの後火刑に処されたという親子3人を偲び、毎年11月3日に捧げられています。
中村司教様はこの日の説教で、この家族が役人に捕らわれる際、出かけていた子の帰宅を待ち、三人一緒に捕まえて欲しいと願ったことに触れ、「私たちも、家族で一緒に祈り、一緒にミサに与りましょう。浦上の家族として、長崎教区の家族として共に歩み、みんな一緒に神様の元に進みましょう。私たちは神の家族です。命をかけ信仰と愛に生きたこの一家は勿論、その美しい精神を9世代400年近く『ベアトス様の墓』として大切にしてきた先人を誇りに思います。 |
今日ここに集い、心合わせて祈れたことに感謝いたします」と話されました。
最後に祝福をいただき、心満たされて家路に着きました。 |
赤城墓地 聖職者追悼ミサ |
11月9日、赤城墓地で聖職者追悼ミサが行われました。
中村補佐司教様司式で、司祭、修道女、信徒約100名が参加しお祈りを捧げました。ミサが始まる前までは天候は曇りでしたが、ミサが始まると一転、雨風で荒れた天気となり、傘をさしてミサに与りました。
この日は先日亡くなられた大分教区の浜口末男司教様の分骨式も行われ、稲佐教会の小瀬良明神父様が、浜口司教様の生前の人柄についてお話をされました。
ミサの後、納骨式があり、司祭、修道女、信徒達が納骨堂に入り聖水の儀式を行いました。 |
又、生前にお世話になった枢機卿様、司教様、司祭の方々にお祈りを捧げました。亡き聖職者の永遠のご安息をお祈りいたします。 |
浦上出身聖職者追悼ミサ |
11月16日(火)朝6時から、浦上出身12名の長崎教区司祭によって、浦上出身の聖職者追悼ミサが行われた。
ミサは、青田憲司神父様により執り行われた。浦上出身の聖職者、修道者と浦上の亡くなった全てのキリスト者のために永遠の安息を祈り、又、死者のとりなしと浦上出身聖職者につづく召命を願って、集まった信徒とともにささげられた。
例年ならば浦上出身聖職者と信徒が元気な姿に喜び、絶えない召命を願って一つに集っているが、昨年につづき今年もコロナのために追悼ミサだけが行われた。 |
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クロアチア紛争から30周年
被爆の浦上で祈念追悼ミサ
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11月18日 朝6時のミサは、髙見大司教様による「クロアチア紛争から30周年追悼ミサ」が、クロアチアのドラジェン・フラスティッチ大使と教皇大使参事官ヴェチェスラヴ・トゥミル神父様(クロアチアのオシェク出身)の参列で行われた。
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クロアチア紛争時、クロアチアのヴコヴァルの町で、1991年8月25日から11月18日にかけた87日間の戦いで、勢力が劣っていたこの町は破壊され、千人を超える住民が犠牲となり、多くの人々が強制収容者や行方不明者、難民となった。
人口の90%を超えるカトリックのクロアチアでは戦後毎年追悼を行っているが、30周年のこの日は被爆の地浦上で追悼ミサを捧げたいとの大使の希望があって行われ、大使から「花」が奉納され戦争の犠牲者と平和のために祈った。
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ご降誕を迎えるために |
教会境内清掃
恒例の教会境内清掃が11月7日(日)、行われました。
7月と同じく、各地区の担当エリアに分かれ1時間程度実施。秋晴れの下、植え込みや石垣の間で夏の間に伸びきった雑草を刈ったり、被爆遺構の旧鐘楼そばの川岸を掃いたりと、手際よく丁寧に取り組みました。多くの方々の奉仕により、境内は隅々まで綺麗になり、主のご降誕を迎える準備ができました。
ご協力いただいた皆さま、ありがとうございました。
馬小屋準備と
クリスマスツリー点灯式
11月28日(日)から始まる待降節を前に、27日(土)13時から壮年会の皆さんを中心に馬小屋が祭壇に準備されました。
また教会学校の子供たちにより、17時30分から境内に設置されたクリスマスツリーの点灯式が行われました。
いよいよ、ご降誕をお祝する準備が整いました。
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評議会だより |
【12月】
(3日)初金ミサ(女性部担当地区: 石神1、2)
10時 〈本部〉
十字架の道行 19時 〈本部〉
(5日)宣教地召命促進の日献金
各ミサ 〈教区〉
評議会 19時 〈本部〉
(8日)無原罪の聖マリア(浦上教会守護の聖人)
〈典礼〉
(9日)被爆者のための祈り
(10時 被爆マリア小聖堂)
〈レジオ〉
(11日)旅の日記念ロザリオ「旅する教会の神秘」
(5時30分 聖堂) 〈典礼〉
クリスマス会
(13時~16時 信徒会館) 〈信教〉
堅信組口頭試験
(17時30分 教会学校) 〈信教〉
(12日)2学期終業ミサ・終業式
(7時30分 聖堂) 〈信教〉
名古屋市ホームレスのための毛布・日用品
(タオル、石鹸など)発送
(9時 信徒会館) 〈ビン〉
(24日)主の降誕 聖夜ミサ
(18時30分、21時 聖堂)〈典礼〉
(24~25)
降誕祭を祝って子供たちへ
お菓子のプレゼント
(24日17時、18時30分ミサ
25日7時30分ミサと9時30分ミサ 聖堂前)
〈壮年 女性〉
教区評議会主催クリスマス募金への協力
(各ミサ前後 聖堂前)〈本部 ビン〉
(25日)主の降誕祭日(守るべき祝日)
(7時30分、9時30分 聖堂) 〈典礼〉
(26日)聖家族 〈典礼〉 |
【1月】
(1日)神の母聖マリア祝日
0時、7時30分、9時30分 〈典礼〉
新年のお祝い、成人のお祝い 〈信生〉
(2日)主の公現 各ミサ 〈典礼〉
(8日)堅信式リハーサル 9時 〈信教〉
(9日)主の洗礼 各ミサ 〈典礼〉
堅信式 9時30分ミサ 〈信教〉
評議会 19時 〈本部〉
(11日)旅の日記念ロザリオ
5時30分 〈典礼〉
(16日)3学期始業ミサ・始業式
7時30分 〈信教〉
クリスマスうまや撤去
13時 〈壮年〉
新年交流会 18時30分〈壮年〉
(18日)小学生勉強始まり 〈信教〉
(22日)中学生勉強始まり 〈信教〉
※行事は今後、変更・中止となる場合もあります。
西坂公園に二人の教皇様の
記念碑が設置されました
西坂公園を訪れた二人の教皇故ヨハネパウロ2世(1981年2月23日)、フランシスコ(2019年11月24日)を記念して、長崎教区が進めていた記念碑の設置と除幕式が11月24日(水)に執り行われました。
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12月の地区集会日程
地区名 |
日 |
曜 |
時間 |
場所 |
担当司祭 |
辻2 |
7日 |
火 |
19時30分 |
公民館 |
久志師 |
石神1 |
扇 |
8日 |
水 |
19時30分 |
公民館 |
尾髙師 |
石神2 |
9日 |
木 |
19時30分 |
新垣宅 |
鼈甲屋師 |
平野 |
19時 |
喫茶ジャスミン |
久志師 |
大橋 |
19時30分 |
公民館 |
尾髙師 |
辻1 |
10日 |
金 |
19時30分 |
公民館 |
久志師 |
小峰 |
20時 |
深井宅 |
鼈甲屋師 |
坂本2 |
19時30分 |
マツオ歯科 |
尾髙師 |
江平 |
12日 |
日 |
19時 |
公民館 |
鼈甲屋師 |
高尾 |
尾髙師 |
平和 |
19時30分 |
鼈甲屋師 |
岡 |
19時 |
久志師 |
上野1 |
18日 |
土 |
20時 |
公民館 |
久志師 |
本尾 |
鼈甲屋師 |
橋口 |
19日 |
日 |
19時 |
公民館 |
久志師 |
本原 |
尾髙師 |
上野2 |
鼈甲屋師 |
お休み |
昭和、女の都、大手、坂本1 |
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今月の典礼担当地区 |
《12月》待降節・降誕節
5日[日] 待降節第二主日 江平2
宣教地召命促進の日献金
8日[水] 無原罪の聖マリア
12日[日] 待降節第三主日 江平3
19日[日] 待降節第四主日 坂本1・平野
24日[金] 主の降誕聖夜ミサ 本部
25日[土] 主の降誕 本部
26日[日] 聖家族 坂本2 |
《1月》
1日[土] 神の母聖マリア
世界平和の日
2日[日] 主の公現 平和
9日[日] 主の洗礼 岡・小峰
16日[日] 年間第2主日 大橋
23日[日] 年間第3主日 昭和
30日[日] 年間第4主日 橋口
世界こども助け合いの日献金 |
教会学校 |
赤城の聖職者墓地墓参
11月6日(土)、赤城の聖職者墓地へ出かけた。毎年、死者の月に行っていることだが、午前は、小雨の中を信仰教育委員会の皆さんに、また午後は保護者の方々に同行してもらった。
長崎教区の聖職者が眠るこの場所で、教会学校の子どもたちは祈りをささげた。小雨の散歩道は天国を思う祈りへの道となった。同行いただいた方々に感謝。
現在の土曜学校は行事のみを行うことにしている。 |
第三回堅信組保護者会
11月21日(日)9時半のミサ後、第三回堅信組保護者会が開かれた。
堅信組担当の尾髙神父様は、堅信式直前の準備等について話した。教会学校での学びについては、コロナ禍の影響もあり遅れているが、必要な準備を整えつつある。同時に、ミサや祈りの重要性についても話した。
また、堅信式での役割分担などを話し合った。
来年1月9日の堅信式に向けて、新たなキリストの証し人の誕生のため教会共同体全体で祈っていこう。 |
家族で霊名の日を祝いましょう |
<今月の聖人> |
12月 December
3日 聖フランシスコ・ザビエル司祭
7日 聖アンブロジオ司教教会博士
13日 聖ルチアおとめ殉教者
14日 聖ヨハネ(十字架の)司祭教会博士
27日 聖ヨハネ使徒福音記者
28日 幼子殉教者 |
1月 January
1日 神の母聖マリア
17日 聖アントニオ修道院長
21日 聖アグネスおとめ殉教者
24日 聖フランシスコ・サレジオ司教教会博士
25日 聖パウロの回心
26日 聖テモテ 聖テトス司教
28日 聖トマス・アクィナス司祭教会博士
31日 聖ヨハネ・ボスコ司祭 |
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浦 上 街 道
久志 利津男 |
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永遠の安息を祈って
亡き司教と司祭へ(1)
パウロ 糸永真一司教様
長崎大司教区発行の「カトリック教会祝日表」には、貴重な多くの資料が記載されています。その一つが亡くなった司教様や神父様とその命日。今回からこの方々を偲ぶことにし、その最初を飾るのは、1970年1月18日に鹿児島教区の第五代教区長となった糸永真一司教様。
2006年1月に引退された司教様との対面は、私が東京の中央協議会に前年の4月に就任しましたので6月の定例司教総会が最初で最後となります。記憶にあるのは、総会中に長崎教会管区司教との会食で同郷の紐差出身松永司教様との会話では笑いを誘ったバトルとなりました。もっと聞きたかったものです。
かつて大神学校時代、スータンは「糸永洋服店」に依頼していましたが、この方は弟さんで司教様とは間接的に関わっていたことになります。40年前に作った夏用のスータンは今でも着用していますが、永い糸で繋がっているようです。
司教様は42歳で鹿児島の教区長となり、今の私の年齢63にあってはその手腕が発揮された頃でもあります。 |
鹿児島にさらなる福音の種を蒔くことをスローガンに「信者倍増計画」を打ち出したのもその一つです。 このキャッチフレーズもそうですが、それに似合う意気込みには誰もが驚きつつ注目に値するものでした。いとも簡単に大胆なことを宣言する、出来るようで出来ない中での司教様の発想と司牧方針でもあります。そこのところを聞いていればと、今にして思うのみです。
私が中町教会時に、八幡町教会の初代主任だった司教様は教会献堂五十周年(2012年9月23日)の記念式典に出席され久しぶりにお会いしました。大きな体から発せられる甲高(かんだか)い声と笑いは以前のままで、先頭に立って鹿児島教区をリードしていたあの姿でした。現役時は教会の教えをしっかりと伝授するために教皇文書の翻訳や多くの著書に手がけ、引退後もパソコンを駆使しての発信は現代的な福音宣教の在り方の模範でもあります。
我が教区と鹿児島教区とは深く繋がっています。最初にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルは鹿児島に、そして長崎に来ます。時が過ぎ、鹿児島教区長として山口愛次郎司教様(当時)、そして出口市太郎神父様、里脇浅次郎司教様(同)が着任され、糸永司教様で4人目の長崎教区出身となりました。
命日は2016年12月10日。 |
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長崎の色んな教会の神父さまや信者さん達と話をする機会がある。筆者は現在38歳であるが、ほとんどが年上の先輩との話である▲あなたはどこの教会ね?とよく聞かれるので、浦上です。と答えると、そりゃー長崎一の教会たい。浦上はとても熱心な信者さんばかりやけんね。と感心されます。浦上の信者であることの誇りを感じつつ、その方の話を聞く。昔の子供時代は、学校よりも教会。朝起きて教会に行き、学校が終わるとまた教会へ行く。祈りをとても大切にしてきたお話や、子供が産まれたら役場への届けよりも先に教会へ行き、子供に洗礼を授け神様に我が子が無事に成長するよう祈りを捧げ |
てきたことを。教会台帳を見たら、役場と教会台帳との生年月日に誤差があることがたまにある話を。そんな話を聞くと、先輩方は教会を大切に、祈りを大切に伝え教えて来た事を想像できます。若者がなにを言うか、と思われそうですが、その時代にいなかったからこそ先輩たちの話が胸を打ち心を鳴らします▲コロナ禍の今、時間ができ教会へ行くことが増え、祈ることが増えてきたような気がします。昔のような教え方でなくても、伝え方や人のために祈る姿を見ると心にとても響きます。 |