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目次
神さまの最も大切なもの
二つの記念行事
「被爆十字架」答礼巡礼 お礼状の紹介
「旅の終わりから150年」を前に ⑥
浦上街道
評議会だより
10月・11月に行ったこと
今月の典礼担当地区
地区集会の日程
家族で霊名の日を祝いましょう
赤鉛筆 |
助任司祭 ヨハネ 中野 健一郎
司教座教会献堂記念ミサと初のパリウム授与式
フック氏の長女ミーガンさんからの感謝の手紙
何かの理由で
永遠の安息を願って(7)亡き信徒の皆様
行事などのお知らせ
小神学校一日体験学習、ベアトス様殉教祭など
12月と1月の典礼当番
今月の聖人
編集後記 |
神さまの最も大切なもの
助任司祭 ヨハネ 中野 健一郎 |
教会学校聖歌隊がジョイントして開催されるクリスマスチャリティーコンサート(2022年12月10日)の打ち合わせのために、テノール歌手大瀧賢一郎さんが子供聖歌隊の練習時間に合わせて東京からおいでくださいました。約1か月後に一緒に歌う2曲ほどを練習しましたが、子供らしいのびのびとしてきれいな歌声に、大瀧さんは感激しておられました。
大瀧さんご自身が子供のころから歌うのが大好きで、地元岡山の合唱団でボーイソプラノをしておられたそうです。大瀧さんが「こんなに大きくて立派な教会でいつも歌うことができるなんて、皆さんは本当に恵まれていますね」とおっしゃいました。子供も大人も普段は忘れている「恵まれている」とのご指摘に、私ははっとさせられました。「7、8人くらいだと思っていたけど、保険をかけて10個持ってきました。一日一日、お祈りしてから食べてね」とおっしゃって、大瀧さんはアドヴェントカレンダー風のチョコレートを子供たちにプレゼントしてくださいました。配り終えると、ちょうど10個でした。
コロナ禍や戦争その他、混迷を極める社会状況の中で、子供たちの天使のような歌声が、神さまから造られた一人ひとりの尊さを告げるご降誕の希望のメッセージとなることを願っています。「合唱では、同じような声でなく、異質な声が重なることで厚みや深みが出るんです」というようなことを大瀧さんはおっしゃいました。一人ひとりに違った特性と役割があり、違いは恵み、一人ひとりは大切な賜物だということを聖歌隊では体験できます。 |
救い主が人間となり、喜びや悲しみの時も、いつもともにいてくださる方となったクリスマスの喜びの知らせは、当時、社会の底辺で蔑まれていた羊飼いたちに真っ先に告げられました。私個人の過去のクリスマスの嬉しい思い出を挙げるなら、主の降誕夜半のミサで、当時中学生の弟も侍者をさせていただいたことです。障害を持ち、偏見も受けがちな弟を出身教会の方々が温かく見守り、受け入れてくださったことは本当にありがたく、嬉しいことでした。
外国で出席を取る時、「はい」の返事は「プレゼント」という言葉です。私が「今、ここにいる」ことは神さまからのプレゼントです。誰もが近づける、無防備で小さな幼な子イエスさまは、そのありのままの私たちを受け入れ続ける神さまの姿ではないでしょうか。
「神さまの最も大切なもの、それは私たちです。たとえ罪人だとしても、私たちは神さまの最も大切な存在なのです」(教皇フランシスコのことば)。
プレゼントである私たちが、お互いに感謝できますように。 |
二つの記念行事
司教座教会献堂記念ミサと初のパリウム授与式
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1959年に献堂され今年11月1日で63年となった浦上教会では記念ミサが行われ、また、今年の2月に大司教として着座された中村倫明大司教のパリウム授与式が同月20日に浦上教会の定時ミサの中で盛大に執り行われた。記念の二つを紹介。
献堂記念と司教座六十年
11月1日(火)18時30分から中村倫明大司教司式で、髙見三明名誉大司教と8人の司祭、100人の信徒の参加で司教座献堂ミサが行われた。
大司教は説教の中で「原爆で倒壊して14年後に再建された教会は11月1日に祝別、その3年後1962年1月1日付で大浦天主堂に代わって司教座聖堂に指定され、今年で六十年となりました」と主な歴史に触れながら、迫害と原爆を経験した司教座聖堂の果たすべき役割と使命について話を進めた。
再建した聖堂
右側の建物は被爆後すぐに建てた仮聖堂
新聖堂の手前右の建物は司祭館
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地元初のパリウム授与式
「司教に固有なしるし」として、良き牧者の象徴を意味するバクルス(司教杖)、高い聖性の使命を示す司教冠(ミトラ)、そしてローマ教皇との深い絆を意味するパリウムがある。
このパリウム授与式が11月20日(日)浦上教会定時の9時30分から行われた。通常、教皇が「聖ペトロ・聖パウロの祭日」(6月29日)に行うが、2015年からは、各国でバチカン大使により行うようになっている。
(大使からパリウムを授与される中村大司教)
「パリウムは管区大司教がその特別な権能のしるしとして、ローマ教皇から贈られるもの。幅5センチほどの白い羊毛製の環状帯で、カズラの上(首回り)に着用しますが、前後にも垂帯があり、絹糸の黒十字架が全部で六つ縫い付けられている。… 日本には、東京、大阪、長崎という三つの教会管区の責任者である三名の大司教がこれを着用する」(白浜満司教著『香部屋係のハンドブック』34~35頁)。
授与式はバチカン大使レオ・ボッカルディ大司教が司式、髙見名誉大司教も同席。ミサに続く祝賀式では、教区を代表してこの春に中村大司教と同じ高校卒業の川口蒼樹(あいき)さん(浦上教会)が授与式に参加できたことに感謝し「大司教様の『ともに』という言葉で私たちを導いてください」と祝辞を述べた。
この日は浦上教会が聖体の永久礼拝の当番であったが、パリウム授与式を優先したために、礼拝式は見送ることにした。 |
「被爆十字架」答礼巡礼 お礼状の紹介
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9月末の被爆十字架の答礼巡礼で、フック氏の長女ミーガンさんから感謝の手紙が届いた。一部を割愛して紹介。
巡礼団の皆様
米国ウィルミントン大学平和資料センターに非常に美しい被爆十字架のレプリカを贈るため、浦上教会の巡礼団の6人の方がアメリカまでいらしたことに深い敬意を表したいと思います。・・・。
巡礼団の皆さんと面談の機会を持てたことは光栄なことでした。ニューヨークのヴェロニク・クリスティリーさん宅で、私たちの友人であるヘレン・ヤング、そしてフック一家のためにミサをささげてくださった髙見名誉大司教様、久志神父様、ありがとうございました。 |
西村勇二さんが制作された被爆十字架のレプリカは傑作です。西村さんの細部にわたる木工細工とその構想は、設置された貴大学平和資料センターで、すべての人々に愛されることでしょう。 ご両親が被爆者であったことが、この平和のためのプロジェクトに先見の明を与えたのでしょう。
平野布佐子・勝一ご夫妻は、被爆者でありながら、生きていく上で困難な問題を抱えながらも、可能な限り最良の実りある人生を歩み続けることができるということをとても潔く表現されました。山田一俊さんと浦上教会の皆様には、キリシタン迫害と原爆の多くの犠牲者を偲ぶために、この平和巡礼を実現されたことに感謝いたします。
旧浦上天主堂の祭壇にあった十字架とマリア像が、小聖堂で再び一緒になることは光栄なことです。どちらも平和と救いのシンボルであり、平和の尊さを思い起こさせるものとして、見る人の心に響くものです。
聖ミカエル・聖ガブリエル・聖ラファエルという三大天使の祭日のミサの説教で、髙見大司教様は、大天使は神から与えられた使命を果たすために、神にのみ仕えるように造られたと言われました。原爆投下後の長崎の惨状を目の当たりにした父フックは、その悲しみを胸に秘めながらも生涯を通じて幾つかの平和団体で活動しました。
そして、被爆十字架がよく保存され、将来平和の証となるように、貴大学平和資料センターに寄贈したのです。・・・。平和と友情のために。
ミーガン・フック・トゥーリス |
「旅の終わりから150年」を前に ⑥ |
親父は「教会に行けよ! 教会に行かんば!」と言いながら、自分はそんなに行くことはありませんでした。その理由を胸張って言っていました。「子供の泣き声で行った(ミサに与かった)気がしない。ミサ帰りには人の悪口ばっかり言いよる!」。確かに行かない、行きたくない理由には聞こえますが、今にして本音を聞きたかったものです。同時に行かない自分が子供には半強制的に行くように言っていたその理由も。
その親の子供が言うのも何ですが、だからと言って不信心ではなかったと思います。当然と言えばそうなのですが、食事の前と後の祈りは徹底していましたし、少し大きめの十字架とメダイは、風呂以外は肌身離さず付けていました。外す時はこの十字架に接吻していたのを憶えています。
公に目に見える形で、例えば教会に足を運ぶ、教会行事に関わる、役員としてその運営に携わることは良いことですし必要でもあります。しかし、信仰の在りようは人それぞれであって独自のやり方があって良いとも思います。 |
親父は私の目からすると、子供たちに厳しく近寄りがたい存在でしたので他人さまにも大変に迷惑と心配をかけたろうと思っていたのですが、多くの方から「いい叔父さんだった」「この叔父さんが面白くて一番好きだった」と思いも寄らない言葉を聞いてとても驚きましたが、聞く度に「本当かな?」と一瞬疑ったものの、次第に親父ゆえの一人間、一信者としての一面だと考えるようになりました。
教会には近づかない、表立って信者としての振る舞いは見えないし分からないように思える方々が仮にいるとしても、問題ありません。案外、独自の方法で自身の信仰を堅持しています。
ですから、そのような方々へは「お帰りなさい」ではなく、「本当は私たちと一緒なんだけど、少々遠慮したい思いでいるんだ、別の形で歩んでいるんだ」と静かに見守ることが大事なのかもしれません。大切な存在であります。 (続く) |
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浦 上 街 道
久志 利津男 |
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永遠の安息を願って(7)
亡き信徒の皆様
今回、亡き信徒の皆さんを偲びたいと思います。通夜・葬儀で、いつかは誰もがその状況等の違いあれ、〝そのとき〟を迎えることを話します。それは分かっている、当然なことだと自分に言い聞かせてはいるものの、実際〝そのとき〟が来た際は、どうして?なぜ?本当?と、この現実を受け止めたくない、噓であって欲しいと切実な願いも空しい思いで過ごす、これがまた現実でもあります。
〝そのとき〟を迎えた方を懇ろに棺に納め、別れの儀式に立ち会う葬儀社。40年近く前に葬儀社を立ち上げた西村勇夫さんが今年の7月21日に88歳で亡くなりました。信徒会館大ホールで行われた通夜に、普段は通夜・葬儀会場の横で切り盛りする方々が遺族席にいることに少々違和感を覚えましたが、誰もが〝そのとき〟を迎えることを証明するものでした。 |
勇夫さんには、残念ながらコロナ禍にあって病院に入れず、会うことはできませんでした。
20年前にカトリック教報の取材をきっかけに関わりが深まり、浦上教会に赴任後も典礼儀式に必要な品々を作ってもらいました。その一つが「被爆十字架」の複製。今年の被爆77年、3年前に返還されたことへの感謝のしるしとして、9月終わり米国ウィルミントン大学平和資料センターに贈呈しました。その巡礼に同行した勇夫さんの息子勇二さんは父親の遺影を手に父親のことを参加者に語り、贈呈式では目の前で手渡された瞬間、涙し、号泣するのをこらえる姿に私の心は張り裂けんばかりの思いとなりました。「親父、十字架を無事に届けた!
ここに来て良かった!」と88年の報いがここに凝縮されていると私なりに解釈したのです。
西村さんを含め、今年も多くの方々が天に召されました。価値ある人生を送られたと思います。ゆっくりお休みください。 |
評議会だより |
【12月】待降節・降誕節
(2日)初金ミサ(女性部担当地区:石神1・2)
10時 〈本部〉
十字架の道行 19時 〈本部〉
(3日)堅信組筆記試験 17時30分 〈信教〉
(4日)宣教地召命促進の日献金 各ミサ〈教区〉
評議会 19時 〈本部〉
・メイちゃん募金封筒配布
・神学生養成援助費封筒回収
・成人対象者調査表回収
(8日)無原罪の聖マリア 〈典礼〉
出津マルコ園訪問 〈エリ〉
(9日)被爆者のための祈り
10時 被爆マリア小聖堂〈レジオ〉
(10日)クリスマス会 10時 信徒会館
堅信組口頭試験 17時30分 教会学校
〈信教〉
(11日)「旅の日」記念ロザリオ
5時30分 〈典礼〉
2学期終業ミサ・終業式 〈信教〉
釜ヶ崎ホームレス支援のための
毛布・日用品(タオル、石鹸など)発送
〈ビン〉
(16日)ゆるしの秘跡 19時
(17日)ゆるしの秘跡 9時・13時
(18日)教会学校清掃 保護者交流 〈信教〉
引退司祭団の訪問見舞い 〈ビン〉
(24日)主の降誕 聖夜ミサ
17時・19時 〈典礼〉
(24~25)降誕祭を祝って
子供たちへお菓子のプレゼント
17時・19時・7時30分・9時30分
〈壮年・女性〉
教区評議会主催クリスマス募金への協力
各ミサ前後 〈本部・ビン〉
(25日)主の降誕祭日
18時30分のミサなし 〈典礼〉
中野神父様霊名(聖ヨハネ使徒)
のお祝い9時30分ミサ 〈信使〉
(30日)聖家族ミサ 6時 〈典礼〉
(31日)神の母聖マリアの祝日前晩ミサ
19時 〈典礼〉 |
【1月】年間
(1日)神の母聖マリアの祝日ミサ
0時・7時30分・9時30分
6時と18時30分ミサなし 〈典礼〉
新年のお祝い、成人のお祝い
9時30分 〈信生〉
(6日)初金ミサ(女性部担当地区:大手・扇)
10時 〈本部〉
(7日)堅信式リハーサル 9時 〈信教〉
(8日)主の公現 〈典礼〉
堅信式・中村大司教公式訪門
9時30分 〈信教〉
評議会・マリア館建設実行委員会
19時 信徒会館 〈本部〉
(9日)主の洗礼ミサ 6時 〈典礼〉
被爆者のための祈り
10時 被爆マリア小聖堂
〈レジオ〉
(11日)旅の日記念ロザリオ
5時30分 〈典礼〉
(15日)3学期始業ミサ・始業式
7時30分 〈信教〉
(17日)小学生勉強始まり 〈信教〉
(19日)SSVP初例会 〈ビン〉
(21日)中学生勉強始まり 〈信教〉
(22日)世界子供助け合いの日 献金 〈教区〉
教会学校清掃 保護者交流 〈信教〉
※行事は変更・中止となる場合もあります。 |
10月・11月に行ったこと |
小神学校「一日体験学習」
今年も神父様からのおさそいがあり、10月22日(土)23日(日)の一泊二日で、神学校の体験学習に行ってきました。
前列右が深井君
去年も参加したのですが、仲良くなったお友達もいたし、たくさん楽しい思い出もあって、また体験できて良かったです。
神学校では、みんなでバスケットや卓球などをして遊びました。
お祈りでは、普段、家ではしていないお祈りもあり、お祈りの大切さを教えてもらいました。体験の終わりには、神学生が歌の出し物をしてくれました。まるで自分だけに歌ってくれるような感じがして、ぼくは、すごく感動しました。
今年は、浦上教会からは、ぼく一人だったので来年は、他の子達とも、一緒に参加して、また楽しい思い出を作りたいです。
小学5年 深井 喗翔(あきと)
クリスマス 馬小屋準備
待降節を前に、連合壮年会による祭壇の馬小屋設置が11月26日(土)に行われました。約20人が3時間ほどかけ、5本の巨大なツリーやイエス様が誕生した洞窟を組み立て、主のご降誕に向けた準備を整えました。
イルミネーション点灯式
待降節を翌日に控えた11月26日(土)17時30分から境内のイルミネーションに一斉に明かりが灯されました。今年のツリーは例年に比べて、規模を縮小して(聖堂の両サイドは無し)装飾されたが、多くの子供たちが参加し、クリスマスを迎える気持ちを新たにしました。 |
ベアトス様殉教祭
11月3日(木)ベアトス様の墓石を囲み、神父様とシスターはじめ30数名の方々と共に殉教者を讃えてごミサを捧げました。
鼈甲屋賢治神父様の説教では、親指人差し指小指を使って、殉教者親子の繋がりをわかりやすく説いて頂きました。命をかけ信仰と愛に生きたこの一家の美しい精神を9世代350年「ベアトス様の墓」として大切にしてきた先人に倣い、自分にできる小さな事から誠実に実行していきたいものです。
赤城墓地で聖職者追悼ミサ
11月8日(火)11時、赤城の聖職者墓地で、亡くなった教区司教と司祭を追悼するミサが行われました。前日に小神学校神学生たちがきれい清掃した中、秋晴れのさわやかな心地でのミサとなりました。
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今月の典礼担当地区 |
《12月》 待降節・降誕節
4日[日] 待降節第2主日
宣教地召命促進の日(献金) 昭和
11日[日] 待降節第3主日 橋口
18日[日] 待降節第4主日 上野1
25日[日] 主の降誕 本部 |
《1月》
1日[日] 神の母聖マリア 本部
世界平和の日
8日[日] 主の公現 上野2
15日[日] 年間第2主日 高尾A
22日[日] 年間第3主日 高尾B
(神のことばの主日)
29日[日] 年間第4主日 本原
世界こども助け合いの日(献金) |
12月 地区集会日程
地区名 |
日 |
曜 |
時 間 |
場 所 |
担当司祭 |
平野 |
8日 |
木 |
19時 |
喫茶ジャスミン |
中野師 |
坂本2 |
9日 |
金 |
19時 |
司祭館 |
葛島師 |
大橋 |
19時30分 |
公民館 |
久志師 |
辻1 |
中野師 |
小峰 |
深井宅 |
久志師 |
高尾 |
11日 |
日 |
19時 |
公民館 |
久志師 |
岡 |
鼈甲屋師 |
江平 |
中野師 |
平和 |
19時30分 |
公民館 |
中野師 |
扇 |
14日 |
水 |
19時30分 |
公民館 |
鼈甲屋師 |
上野1 |
17日 |
土 |
20時 |
公民館 |
鼈甲屋師 |
本尾 |
葛島師 |
本原 |
18日 |
日 |
19時 |
公民館 |
久志師 |
橋口 |
鼈甲屋師 |
上野2 |
中野師 |
休み |
坂本1、石神1・辻2、石神2、女の都、大手、昭和 |
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家族で霊名の日を祝いましょう |
<今月の聖人> |
12月 December
3日 聖フランシスコ・ザビエル司祭
7日 聖アンブロジオ司教教会博士
8日 無原罪の聖マリア
13日 聖ルチアおとめ殉教者
14日 聖ヨハネ(十字架の)司祭教会博士
26日 聖ステファノ殉教者
27日 聖ヨハネ使徒福音記者
28日 幼子殉教者 |
1月 January
17日 聖アントニオ修道院長
21日 聖アグネスおとめ殉教者
24日 聖フランシスコ・サレジオ司教教会博士
25日 聖パウロの回心
26日 聖テモテ 聖テトス司教
28日 聖トマス・アクィナス司祭教会博士
31日 聖ヨハネ・ボスコ司祭 |
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コロナ禍になりもうすぐ丸3年。色んな事が様変わりし、それが当たり前になってきました。規制や縛りが増え、人と人との接し方や行動に敏感になり、いつでも慌ただしいようなストレスや不安を感じたり抱えたりする時に、ふと静まり返った教会の中で歌われるカトリック聖歌に、とても心を落ち着かせ癒しを与えてくれる空間に出会いました▲長崎にはたくさんの教会があります。木造の教会だったり、石造りの教会だったり。そんな教会を訪れた時、聖歌隊や伴奏者の方々が練習していたりします。 |
ミサや結婚式、葬儀のために歌う聖歌にはその教会の造りや雰囲気で聴こえ方や感じ方がさまざまです。しかし、そのミサのためにあるいは結婚式や葬儀のために歌う姿勢や気持ちは皆さん一緒で、感銘すら受けます▲私が子供のころ、父も聖歌隊に入っていて、家でオペラ歌手かのように聖歌を歌う父に、「うるさいなぁ!」と思っていたことを今は謝りたい気持ちです▲以前より緩和されてきたとはいえ、コロナを気にせずに美しい伴奏と聖歌で教会の中を包みながらミサに与る日が待ち遠しいです。 |