16 永井隆博士の愛の活動と死

 昭和26年5月1日、永井隆博士は白血病のため、如己堂にて43才の生涯を閉じられた。5月14日、浦上天主堂で長崎市葬が行われ、約2万人が参列した。
 博士は長大放射線科部長として散乱放射線による白血病にかかり、その上、原爆被爆の重荷の身体で何回か倒れながら、原爆後の救援活動に冬力された。

 昭和23年、2畳1室の如己堂に移り、「如己愛人」をモットーとして、神と人への愛に生きようと努められた。
 病床にありながら、「この子を残して」「長崎の鐘」などの著書14冊、多くの画や詩歌、「永井千本桜の寄贈」「あの子らの碑」の建設、「子供図書館の設立」その他、数々の功績を残されたことは、浦上信者のよく知るところである。
 また、青年会などの指導にも留意され、会の役員は度々病床で指導を受けたのであった。
 まことに、博士は「如己愛人」の聖訓に生き、人類の幸福と平和のため、心魂を傾け尽された方であった。


愛児と共に病床の永井博士

如己堂