15.聖フランシスコ・ザビエル渡来400年祭

式典にあずかるシスターたち

 1949年(昭和24年)に行われた聖フランシスコ・ザビエル渡来400年祭は、聖人の「聖腕」と教皇特使がローマから来日されたほか、スペインをはじめ世界20か国からの参列者を集め、鹿児島、平戸、博多、山口、京都、長崎、奈良、広島、名古屋、大阪、東北各地など、聖人ゆかりの地をはじめ、全国各地で15日間にわたり厳かな式典が繰りひろげられた。それは、カトリック教会だけでなく、戦後、日本の最初の国際的行事であった。

 浦上での荘厳野外ミサ

 5月29日、浦上天主堂の焼跡から「長崎の鐘」が鳴る。四方八方、道という路から天主堂の丘をめがけて、えんえんたる人の列がつづく。
 定刻9時、旧天主堂右側壁の廃墟に設けられた仮祭壇前の広場は、2万余の参列者で立錐の余地なく埋めつくされてしまった。
 今日の荘厳ミサを執行するオルチス司教は、助祭長、梅木兵蔵師、高座付助祭、大窄政吉師、フリン両師、祭壇付助祭、浜口庄八師、副助祭、山田勇師、先導の下に入場、特別席には山口愛次郎、早坂久之助、深堀仙右衛門、マクドネルの各司教その他、高位聖職者が列席して、記念すべき世紀の祭典は開始された。
 聖祭は里脇浅次郎、中島万利両式典長、大神学生奉侍によって厳かに進められる。聖歌は拡声器で高められて、浦上全域に美しいリズムを漂わしていく。
 聖師渡来から400年、かつて絶ゆる事なく聖師伝来の信仰を保持し続けた浦上の信者たちが、信仰故にもろもろの苦しみをなめた庄屋屋敷に迫害直後の困窮の中に、東洋一の大天主堂を建てたこの丘、しかも原爆で天主堂を失い、親、子、妻、夫など8,000人の家族、知人を平和への犠牲として献げた浦上に、世界の注目を浴びて記念の荘厳ミサが献げられ、生き残りの4,000人浦上信者と教区内外から集った2万の信者が聖師の右腕と共に聖なるミサに与ったのである。
 カメラマンのフラッシュが祭壇に、群衆に八方からきらめいていた。
 ミサ中、オルチス司教は次のような意味の力強い説教をして、参列の信者を激励された。
「聖フランシスコ・ザビエルが、東洋で為しとげた偉業をしのび、如何なる困難にも屈せず、希望と勇気とを以て信仰に基く内的生活を充実し、永遠の目的達成に、まい進されんことを祈るものである。」
 浦上でのミサ後、午後2時から大十字架を先頭に聖腕と聖人遺愛の十字架が、大浦天主堂から西坂まで大行列で進められた。

参列者によって立錐の余地もなく埋めつくされた会場
(右後方に鐘楼が見える)
浦上天主堂跡に設けられた
ザビエル祭の仮祭壇