主は荒野で試みられる   (マタイ 4・1)

 さて、イエスは悪魔から誘惑を受けるため、“霊”に導かれて荒れ野に行かれた。
 そして四十日間、昼も夜も断食した後、空腹を覚えられた。
すると、誘惑する者が来て、イエスに言った。「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」
 イエスはお答えになった。「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』/と書いてある。」
漁師を弟子にする   (ルカ 5・1)
 イエスがゲネサレト湖畔に立っておられると、神の言葉を聞こうとして、群衆がその周りに押し寄せて来た。
 イエスは、二そうの舟が岸にあるのを御覧になった。漁師たちは、舟から上がって網を洗っていた。
 そこでイエスは、そのうちの一そうであるシモンの持ち舟に乗り、岸から少し漕ぎ出すようにお頼みになった。そして、腰を下ろして舟から群衆に教え始められた。
 話し終わったとき、シモンに、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われた。
 シモンは、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えた。
 そして、漁師たちがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。そこで、もう一そうの舟にいる仲間に合図して、来て手を貸してくれるように頼んだ。彼らは来て、二そうの舟を魚でいっぱいにしたので、舟は沈みそうになった。
 これを見たシモン・ペトロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と言った。
 とれた魚にシモンも一緒にいた者も皆驚いたからである。
 シモンの仲間、ゼベダイの子のヤコブもヨハネも同様だった。すると、イエスはシモンに言われた。「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる。」
 そこで、彼らは舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエスに従った。
山上の垂訓   (マタイ 5・1)
 イエスは群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。
 そこで、イエスは口を開き、教えられた。
「心の貧しい人々は、幸いである、/天の国はその人たちのものである。
悲しむ人々は、幸いである、/その人たちは慰められる。
柔和な人々は、幸いである、/その人たちは地を受け継ぐ。
義に飢え渇く人々は、幸いである、/その人たちは満たされる。
憐れみ深い人々は、幸いである、/その人たちは憐れみを受ける。
心の清い人々は、幸いである、/その人たちは神を見る。
 平和を実現する人々は、幸いである、/その人たちは神の子と呼ばれる。
義のために迫害される人々は、幸いである、/天の国はその人たちのものである。
 わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。
喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」
嵐を静められるキリスト   (マタイ 8・23)

 イエスが舟に乗り込まれると、弟子たちも従った。
そのとき、湖に激しい嵐が起こり、舟は波にのまれそうになった。イエスは眠っておられた。
 弟子たちは近寄って起こし、「主よ、助けてください。おぼれそうです」と言った。
イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。信仰の薄い者たちよ。」そして、起き上がって風と湖とをお叱りになると、すっかり凪になった。
 人々は驚いて、「いったい、この方はどういう方なのだろう。風や湖さえも従うではないか」と言った。